大井川通信

大井川あたりの事ども

思想家たち

『チベットのモーツァルト』(中沢新一 1983)にケリをつける

昨年で『構造と力』が出版40年ということだから、中沢新一のこの本も、すでに文庫化はされているが同じく出版されて40年を過ぎたことになる。 1983年は、僕も大学の最終学年になって、他大学の今村先生のゼミに参加したり、自分の大学で法社会学のドイツ語原…

『構造と力』(浅田彰 1983)を文庫本で読む

昨年末、浅田彰の『構造と力』が出版後40年で、初めて文庫化された。それで、年末年始休みには、この本をはじめとする当時の現代思想ブームの本を読み直してみたいと考えて、なんとか『構造と力』だけは三が日で読み終えた。 今では思想書が文庫になるのは珍…

『ことにおいて後悔せず 戦後史としての自伝』 菅孝行 2023

菅孝行(1939-)は、僕が批評を読みだしたころの憧れの存在だった。演劇畑の出身で、物書きとしては演劇批評で頭角を現したが、僕が熱心に読んだのは『吉本隆明論』(1974年)などの思想論で、80年代に入ると岩波の哲学誌『思想』に身体論を連載するまでに…

岡庭昇さん三回忌

今回の忌日は、岡庭さんの本を手に取る余裕がなかった。せめて岡庭さんとの直近のエピソードを記録して、故人を偲ぶことにしよう。 今から6年前の2017年の1月のことだが、ネット上に岡庭さんの娘さんの開設したブログ(復刻『週刊岡庭昇』~岡庭昇を因数分解…

『希望の原理』 岸田秀 1993 

唯幻論の復習のために取り出して読む。著者にとって初めての語り下ろしの本で、基本的なトピックが多数扱われているのに記述が短くてわかりやすく、全体の分量も少ない。岸田秀の考えをおさらいするのに便利なのだ。 青土社の岸田秀コレクションの一冊だが、…

丘陵を歩く柄谷行人/郊外・里山・ニュータウン

※52回目の吉田さんとの月例勉強会のレジュメ。今までの関連記事からポイントだけを取り出してA4二枚の資料とする。吉田さんは、僕の近所歩きの取組(厳密に言うと、住居のあるニュータウンを歩き出て、それまで死角だった旧集落、住民、歴史、里山、自然、…

『柄谷行人『力と交換様式』を読む』 柄谷行人ほか 2023

雑誌掲載の講演録やインタビュー、書評等をとりまぜて、柄谷行人の最近の仕事を概観する文春新書。 2000年頃の『トランスクリティーク』やNAMの活動の終焉以降、柄谷の本はあまり読んでこなかったから、小ぶりながら久しぶりに活気のある面白い柄谷本を読ん…

『ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読』 今村仁司 2000

岩波現代文庫で出版された当時にすぐに読んだようで、読了日に添えて一言「よかった」とメモしている。今回23年ぶりに再読して、「さらにとてもよかった」と書き添えた。 薄めの文庫だが、第1部は「方法について」と題して、ベンヤミンの思考の方法について…

『吉本隆明1968』(鹿島茂 2009)をめぐるメモ 2009.6.26作成

吉本の偉さを若い世代に理解させる、という執筆の目的自体が奇妙である。しかし、吉本論に限っていうと、そのような姿勢で書かれたものが多いような気がする。 通常、思想家論、作家論は、その対象との苦闘の記録である。しかし、本書のような吉本論は、吉本…

『日本近代文学の起源』(柄谷行人 1980)をめぐるメモ 2007.10.20作成

柄谷行人の本を新著で読み出したのは、83年の『隠喩としての建築』からだと思う。その頃から柄谷は、一作ごとに新しい「問い」を生み出す同時代のカリスマ的な批評家と目されていたし、僕自身も、90年頃までが柄谷をもっとも熱心に読んだ時期だった。今…

『宗教の最終のすがた』 吉本隆明/芹沢俊介 1996

副題に「オウム事件の解決」とある。オウム関連資料として買ったものだが、薄い対談本にもかかわらず、吉本らしく独善的でねちっこい論理展開がわかりにくく、弟子筋の芹沢の追従(吉本関連本にはありがちな態度なのだが)も気になって、読み切れなかったも…

岡庭昇と吉本隆明(再掲)

岡庭昇(1942-2021)を読み直すときに、吉本隆明(1924-2012)の軌跡を参照軸にすることもできるだろう。狙いは、「戦後思想の巨人」に照らして、岡庭昇の仕事の大きさを示すこと。 〈詩と詩論〉 吉本隆明は詩人であり、詩についても多く論じている。前の…

岡庭昇のフォークナー論

今回『八月の光』を読むきっかけは、従兄にすすめられたことだったけれども、若いころからフォークナーに挑戦したいと思っていたのは、岡庭さんにフォークナー論があったからだ。岡庭さんは僕の文学の師匠だから、単独の作家論の著作のある椎名麟三、フォー…

『戦後青春』 岡庭昇 2008

7月14日は岡庭昇の忌日なので、一冊を取り出して読む。 すさまじい本だ。奇書といっていいかもしれない。池田大作と創価学会の擁護、というより礼賛の本である。しかし著者は創価学会の外部の人間だから、そのかかわりは身近な交友関係や読書など、ごく部分…

『まだまだ身の下相談にお答えします』 上野千鶴子 2022

朝日新聞身の上相談コーナー連載記事からの三冊目。新聞連載時にも時々目を通していたが、どれも面白く、心に残る。他の相談者のものとは格段にレベルが違う気がする。 やはり男女の関係、家族の関係を主戦場にした理論活動をしつつ、実際にそこで戦ってきた…

『哲学入門一歩前』 廣松渉 1988

今年の廣松さんの忌日(5月22日)には、この本を手に取る。巻末のメモだと、出版年とその翌年に読んで以来の33年ぶりの読了となる。しかし若いころに読んだ本のためか、その内容はよく頭に残っていた。 廣松さんの四肢的構造論の骨組みは、説明する漢語は難…

『群衆 ー モンスターの誕生』 今村仁司 1996

5月5日は今村先生の忌日なので、今年も一冊取り出して読む。僕が大学で先生に出会った80年代初め頃は、先生はまだ数冊の著書をもつだけの新進気鋭の学者だったが、その後、ある思潮を代表する思想家として多くの著書や翻訳書を出版し、またそこにとどまら…

浅田彰の逃走

僕は、現代思想ブームのさなかの1984年に大学を卒業して、企業に就職した。その前年の秋に浅田彰の『構造と力』が思想書としては異例のベストセラーとなり、近所の一橋大学の講演で彼のさっそうたる姿を見ることができた。『逃走論』の出版は、僕の就職直前…

吉本を読まない横超忌

今日は、吉本隆明の忌日だから、薄い本でも詩集でも読むつもりだったが、忙しさにかまけてそれもできなかった。吉本が亡くなって10年。あれほどの存在感もやや薄れつつあるということか。 僕が吉本を読んだのは、上の世代とのコミュニケーションをとるためだ…

丘陵を歩き続ける柄谷行人

新聞購読をやめてしまったけれども、気になる記事はある。たとえば、年末恒例の書評委員による1年間の出版の総まとめみたいな記事。昨年柄谷行人が面白いことを書いていたから、今年の彼の発言がなんとなく気になっていた。 今年の「書評委員この1年」とい…

『社会性の哲学』 今村仁司 2007

恩師の今村先生の主著を、ようやく読了。没後14年。何度も挑戦してきたが、読み通したのは今回が初めてだ。とんでもない不肖の自称弟子である。 先生が病に侵されながら最期の一年で書き上げた本で、後書きの日付は亡くなる一か月程前のものだ。出版は亡くな…

岡庭昇さん追悼

評論家の岡庭昇さんの訃報をネットで見つけた。7月14日に亡くなって、21日に地元紙の新聞記事になっている。近ごろ新聞に目を通さなくなったので、気づくのが遅れてしまった。 大学時代に偶然手に取った岡庭さんの本を通じて、僕は思想や評論の世界に魅了さ…

廣松渉の忌日

今年は、丸山圭三郎(1933-2003)との対談集『現代思想の「起源」』を手に取ってみる。1993年に出版された本の2005年の新装版だ。旧版の出版の年に丸山は亡くなっているし、同い年の廣松もその翌々年には後を追うように亡くなっている。 当時岩波書店の月刊…

横超忌に『吉本隆明歳時記』を読む

今日で吉本隆明が亡くなって9年がたつ。調べると、吉本の忌日は横超忌というのだそうだ。手元にある一番薄い文庫本を取り出して読んでみる。 久しぶりに吉本の本を読みながら、ああ吉本節だと思いながら、この文体がいっそう遠く感じられた。きちんと理解し…

『ニュー・アソシエーショニスト宣言』 柄谷行人 2021

柄谷行人の新著の新聞広告があったので、すぐに取り寄せて、読み終えた。柄谷の本でこういうことをするのは本当に久しぶりだ。インタビューによる雑誌連載などをまとめたもので、ここ20年の仕事を振り返るものになっている。 『トランスクリティーク』を書…

物置部屋のコレクション

僕は本を買うのが、唯一の多少のぜいたくだから、家のあちこちに収納のための本箱が置いてある。二階の物置部屋にスチールの本棚があって、その一番上の目立つ棚は、一段全部が、ずらっと岡庭昇の著作のコレクションだ。ざっと40冊ばかり。全著作ではないが…

柄谷行人の里山思考

読書会の忘年会以降、風邪気味となり調子が出ない。街にも出かけられず、年末らしいことを行えないまま、大晦日になってしまった。今日は近所の友人と里山に参拝登山に行くはずだったのだが、それもキャンセル。 仕方なく、家で年末の新聞に目を通していると…

箇条書きではだめだな、箇条書きでは生きられない。

今村仁司先生は、晩年、東北の浄土真宗の僧侶たちと交流があって、13年に渡って勉強会を続けていた。その記録が、「無限洞」というグループの会報にまとめられている。先生の死後には、追悼のシンポジウムを開いて、それで特集号を編んでもいる。メンバーに…

『廣松渉 哲学小品集』 小林昌人編 1996

5月22日は広松さんの忌日だから、読みやすそうな短文集を手に取る。書き込みを見ると、2009年に再読しているから、およそ10年間隔で読んでいることになる。この本をもう一度手に取ることはあるだろうか。 柳川時代の住居あとを見ているから、やはりその頃の…

『貨幣とは何だろうか』 今村仁司 1994

5月5日は、恩師の今村先生の忌日なので、今年も著書を手に取った。 創刊されたちくま新書の第一号がこの本だった。同じ年に創刊された講談社選書メチエの一冊目も、今村先生の『近代性の構造』だった。当時の先生の論壇や出版界での評価がうかがわれる。 た…