大井川通信

大井川あたりの事ども

岡庭昇さん三回忌

今回の忌日は、岡庭さんの本を手に取る余裕がなかった。せめて岡庭さんとの直近のエピソードを記録して、故人を偲ぶことにしよう。

今から6年前の2017年の1月のことだが、ネット上に岡庭さんの娘さんの開設したブログ(復刻『週刊岡庭昇』~岡庭昇を因数分解する~)を見つけて、思わず以下のようなコメントをした。言論活動はその何年も前にストップしており、忘れられた評論家といえる岡庭の著作を実の娘さんが読み解いていくという企画に刺激を受けたのだ。コメントにはていねいな返信をいただいた。

 

岡庭昇さんはお元気ですか?
若い頃、本を読んだり、同時代シンポでお話をうかがったりしました。
初期の詩論や文芸評論「萩原朔太郎」や「偏執論」が好きでした。
その思想が正当な評価を受けていない、一ファンとして思っています。
ただ、親子関係は難しいですよね。お父様の本と正面から向き合おうと考えるまでには、いろんな経緯や葛藤があったのだろうと思います。よかったら、そのあたりも。
私ももう一度、岡庭さんを読み直してみたいと思います。
これからの展開を楽しみにしています。

 

まず当ブログにお越しいただきましたこととコメントを賜りましたことに、お礼を申し上げます。
また父主催の同時代シンポにお越しくださったり、父の著書をご愛顧賜りましたことに心より感謝を申し上げます。ありがとうございます。
父は元気です。
父の朔太郎論や偏執論がお好きだと仰ってくださってうれしいです。
偏執論は父の本の中でも私も好きな著作の一つなんですよ。
いずれこのブログで取り上げたいと思っています。
親子関係についてですが、
そうですね。
父に対して非道い事をしてしまったという気持ちがあり、父に対して贖罪したい気持があります。
父の著作を読み直していただけるとのこと、大変うれしいです。
父も喜んでおります。
これからの展開を楽しみにしているとおっしゃってくださってありがとうございます。
○○さんのこのブログへの来訪をお待ち申し上げております。

 

僕のメッセージが岡庭さん本人にも届いているという返信が、僕にはうれしかった。それで岡庭さんを読み直すという宣言を有言実行すべく、コメントのために登録したはてなブログで記事を書くようになったのが、「大井川通信」を始めたきっかけだ。

ブログの最初に短い岡庭論を書き継いでみたものの、岡庭さんの読み直しの方はなかなか手がつかず、娘さんのブログも、2018年の年末に更新が止まっている。

忌日をきっかけに一冊一冊を掘り下げるという試みを、日にちが遅れてもさぼらずに行っていきたい。

 

ooigawa1212.hatenablog.com