ある吉本論について、吉本を持ち上げるばかりで、吉本についての全体的で総合的な認識をつくっていない、それは吉本の精神にかなっていないのではないか、と批判を書いた。僕自身たいした読者ではないが、長く吉本が気にかかってきた者として、自分なりの吉本のイメージをぼちぼちメモしていきたい。
僕の父親は、吉本と同じ1924年(大正13年)の東京生まれだった。渋谷で生まれて転々と住居を移したと聞いている。戦前の文学青年で、中也や朔太郎の詩集は最期まで手放さなかった。旧制中学(日大二高)までの学歴だったけれど、日本の古典や宗教者についてはずいぶん専門的な本を読んでいた。父の兄は、商大(一橋大学)に進学しているから、実家には多少資力はあったのかもしれない。若い頃寄席が好きで、名人文楽に入門を志願したこともあったそうだ。ぎりぎり軍隊にとられたから、死は意識しただろう。軍隊生活のつらい思い出についてはずいぶん聞かされた。神道や天皇や体制を嫌い、家族で神社にお参りに行った記憶はなかった。180cm近い大男で、僕が子供の頃は、隣町のミシン工場に自転車で通って働いていた。
吉本隆明を読むと、自分の父親とどうしても重なってしまう。物心ついたときにはすでに戦争の時代であり、20歳過ぎに敗戦を迎えて価値観の崩壊体験を経て、焼け野原の東京とその復興を経験し、高度成長の時代をになって消費社会を迎えるという戦中派の経験は、やはり特別にまれな体験だったのだと思う。文学を頼りに、一庶民として生き抜いたという意味でも、吉本と出発点は共通している。
僕は、父親について正直わからないところが多い。時に饒舌に話をする人だったが、本音の部分に触れたような気がしない。戦争体験以外、戦前の暮らしのことも、戦後復興期の時代の話もほとんど聞いた記憶がない。今から振り返ると、体験の異質性ということが大きく阻んでいたのではないのか。
僕が時々でも、吉本の本を開くのは、吉本を通じて、自分の父親を理解しようとしているためなのかもしれない。それは、基本的にとても異質で隔絶した体験を理解しようとすることだ。一部の読者のように吉本の視点に同一化したいとも、それができるとも思えない。