大井川通信

大井川あたりの事ども

「つりびとのゆめ」 鈴木淳 (糸島国際芸術祭2018)

大井川歩きを始めてから、身近な里山の中へ足を伸ばすようになった。目標は、山頂にまつられたホコラや古墳などである。足を踏み入れて、想像したこともない異世界が身近にあることに驚いた。そもそも里山の入り口はわかりにくいし、正式な山道でもないから、はたして部外者が入っていいのかもわからない。

鈴木さんは、山道の脇の枝等に張り渡された白い紐一本で、観る者を里山の内部に導いていく。入口には小さな鳥居があるから、もともと侵入することへのハードルは低い場所とはいえる。しかし、急傾斜の山道には石段などなく、重機で切り開いた道の両側には、竹がびっしり密生している。気楽な散歩のつもりなら、すぐに引き返したくなるはずだ。様々な形状の大木の根元がならぶ様子は、異世界の巨大生物の棲み家にまぎれこんだ錯覚を起こさせる。山中にごろごろと巨石も多い場所だから、いっそう不可思議の思いはつよくなる。

ここではゆらゆらとか細い紐が、実に確かな導き手となる。導くという役割に徹して、里山の景物の存在感を少しも邪魔することがない。(里山のふもとの屋敷の展示室では、この導き手の紐を主役にした映像作品を観ることができる) 

ところどころに控えめに置かれた人形や玉やモールなども、大海に浮かぶ小さな浮きのようで、かえって里山の空間の深さを示しているようだ。

山頂の巨石をまつった神社をすぎて、すこし下がったところのホコラの入口に白い紐の先は結ばれている。これが神様の釣り糸ならば、ここにたどりついた者は、神につりあげられた魚ということになる。しかし、現在の神々は、もはやそんな信仰の力はもたないだろう。

ここに僕たちを導いたのは、「芸術祭」と「現代美術」という制度の力なのだ。この新しい文化の力を借りることで、里山と巨石というかつての生活と信仰の現場と我々とを引き合わせた鈴木さんの計略には、舌を巻かざるをえない。

「つりびとのゆめ」が終わって、下り坂に入ると、あたりは針葉樹が等間隔に植林された単調な斜面となる。そこには電柱のような針葉樹にテープを巻き、多くの樹木同士を何重にも紐で結び合わせた作品が設置されていた。造形的な面白さや、森の一部を結界のように囲うことの効果を狙ったものかもしれないが、たった一本のたよりない紐で里山全体を釣り上げた鈴木作品の「ゆめ」の強度には、はるかに及ばないものに見えた。