大井川通信

大井川あたりの事ども

従姉の訃報

僕たちの世代と今の若い世代との違いはたくさんあるが、いとこの数もその一つだろう。戦前生まれの親たちは兄弟が多かった。僕の父親は四人兄弟だし、母親は七人兄弟だった。すると、叔父叔母の数が多いわけで、彼ら彼女らが戦後の時代に産む子供の数は戦前ほど多くはないとは言っても、必然的に従兄弟の数は多くなる。

僕の妻も事情は同じで、若い頃はいとこ会みたいなものを開いて、みんなで出かけたりしたことがあるという。

僕でも20人弱はいると思うが、すでに連絡のつかない従兄弟も結構いる。僕の両親がそうだが、叔父叔母の大半が鬼籍に入ってしまったからだ。そうなると、従兄弟といっても自然に疎遠になるものだ。それでも従兄弟の訃報というものは、今まで耳にしたことはなかった。

先週、従兄からの連絡で、近しい従姉が亡くなったことを知った。同じ敷地に住んでいた叔父の長女で、僕より年齢が一回り上だったし、学生運動の影響を直接受けた世代で早くに家を出ていたから、顔を合わせる機会はそれほどなかった。

それでも従姉のお姉さんの話題は、両親の間でよく出ていた。ギタリストの彼と結婚して、僕の高校の近くで夫婦で貸しスタジオの商売をしていたこともあった。そのころ若き日の小室哲哉がよく使っていたという話はあとから聞いた。

医者の息子だったという旦那さんが固い仕事に転じて千葉に家を建ててからは、生まれた二人の兄妹と会う機会が増えて、小さい頃から手品を見せたりよく遊んであげた思い出がある。男の子は、父親の血を継いだのかミュージシャンになって、大学時代に結成したバンドを20年間続けている。アルバムも定期的に出して、海外にもツアーにでたりしているから、実力派として認められてはいるのだろう。僕も博多で二回ライブを聴いた。

ジャパニーズシティポップのブームを受けて、海外人気で過去の動画の再生回数もずいぶん伸びているから、従姉のお姉さんもずいぶん喜んでいるんじゃないか、なんて思っていた矢先だった。

元気のいい人で、相手の肩や腕をはたきながら勢いよく話している姿が目に浮かんでくる。冥福を祈りたい。