大井川通信

大井川あたりの事ども

真宗本堂について

宇佐でごく短時間だったけれど、浄土真宗寺院の大規模な本堂に立ち寄った。以前から気になっていたのだが、国の文化財に指定されていないこともあって見過ごしてきたのだ。しかし想像より面白い場所だった。

正式名称は、「本願寺四日市別院」と「真宗大谷派四日市別院」だ。ほとんど隣接して、東本願寺西本願寺の別院(本山直属の地域の中心寺院)が並んでいるのだ。これには驚いた。それぞれ西別院、東別院と呼ばれ、かつては「九州御坊」として九州における信仰の中心だったという。まるで京都みたいだが、こうなった経緯にはこの地域における東西両派の対立があったようだ。

境内の建物はそれぞれ再建されたものだが、両派が張り合ったせいか九州最大と言われるほどの規模を誇り、それが並び立つ姿も京都のようで興味深い。西別院本堂は1859年(安政6年)の竣工で、間口(桁行)は29.5m、奥行(梁間)は31.5m。東別院本堂は、1880年明治13年)の竣工で、それぞれ28mと25m。二棟ともよく似た形状だ。

大きな入母屋造の屋根がかけられて、深い軒には周囲に支柱を立てて屋根を支え、広々とした縁側には手すりが設けられている。建具を開放すれば、畳が張られた外陣と広縁は連続した空間となる。大勢の門徒が詰めかけたときにはそういう使い方をするのだろう。いわゆる「真宗本堂」の典型的な姿で、門徒の収容を重視したがっしりしたホールのような形状だ。

東別院では、何かのイベントの準備がされていたので、広縁に上がり自由に堂内をのぞくことができたが、こうした開放的な空間のあり方には、浄土真宗の信仰のあり様が反映されているようで興味深い。

ちなみに、京都の本山では東西とも、親鸞をまつる「御影(ごえい)堂」と阿弥陀如来をまつる「阿弥陀堂」とが並ぶ二堂形式となっており、さらに大規模なものとなる。ずいぶん以前、ある合宿形式の研究集会で京都の本願寺の宿舎を利用したことがあった。早朝お参りすると、広い本堂にはたくさんの門徒の人たちが集まっていっせいに念仏を唱えている様子はまさに壮観で、生きた信仰であることを思い知らされた。