大井川通信

大井川あたりの事ども

大井川通信(ニュータウン)

その自己欺瞞が許せない ー『滝山コミューン1974』再論ー 2010.12.18作成

3年ばかり前、読書会で政治学者の原武史が書いたノンフィクション『滝山コミューン1974』のレポートを担当した。 当日はドイツ人の参加者もいて、にぎやかで満足のいく会となった。報告への評価も「全然ダメだ」という人から「こんなレポートは初めて聞いた…

『滝山コミューン1974』を読む 2008.2.22報告

1 不在のコミューン 私が小学校6年生になった1974年、七小を舞台に、全共闘世代の教員と滝山団地に住む児童、そして七小の改革に立ち上がったその母親たちをおもな主人公とする、一つの地域共同体が形成された。(P19) こうして片山のもくろみは見事…

35歳と生まれたて

『町を住みこなす』(大月敏雄 2017)をようやく読了。新書ながら充実の内容で、読みごたえがあった。 どんな家に住み、家とどんなふうにかかわるかは、生活の根幹の部分である。しかし、その部分は、自分の足元であるだけに、意識化されることのないブラッ…

日本住宅政策三本柱

住宅の歴史に関する本を読んでいたら、戦後の住宅政策に三本柱というものがあるのを知った。敗戦による住宅不足を解消するために、1950年代の前半に相次いで打ち出された政策だ。 1950年(昭和25年)の住宅金融公庫法による、住宅ローンでの「公庫住宅」。19…

「沖」の由来

「ここには古くから、『沖』と呼ばれる古屋があった。この名の由来は定かではないが、この古屋は、母屋と納屋と、土蔵に連なる離れ屋から成っていた。決して分限者の構えではなかったが、庭には、青桐や楓、槙などが機嫌よく樹っていた。その佇まいは結構和…

僕たちの「リロケーションギャップ」

僕の姉は、20代で実家を出てから、30年以上毎週のように実家に通い続けた。特に両親が老いて病身になってからは、彼らの支えになっていたし、二年前に母親が家を出たあとも、毎週末、家の管理をしに出向いていた。 母親が亡くなって、空き家になった自宅…

年末にニュータウンの境界を歩く

郊外のリノベーションの連続ワークショップで、自分の経験から、開発団地の境界付近が面白いという発言を何回かした。年末時間が空いたので、当該ニュータウンの境界線を実際に歩いてみることにする。大晦日という一年の境界の日の、黄昏時という昼夜の境界…

ニュータウンのアイデンティティ

郊外のリノベーションをめぐる連続講座で、今回は都市計画が専門の黒瀬武史さんの話を聞いた。デトロイトの住宅地の衰退と再生の試みの報告で、住宅地の衰退ぶりは驚くほどだが、一方再生のアイデアの大胆さにも驚かされた。 一つの都市をゼロから立ち上げて…

樋井川村から大井村へ

近所の大規模住宅団地で、今、ニュータウンのリノベーションの動きが起きている。先月から毎回ゲストを招いて「郊外暮らしの再成塾」が開催されていて、今月が株式会社樋井川村の村長を名乗る吉浦隆紀さんだった。所有と市場をベースに、おおきなうねりの発…