大井川通信

大井川あたりの事ども

僕たちの「リロケーションギャップ」

僕の姉は、20代で実家を出てから、30年以上毎週のように実家に通い続けた。特に両親が老いて病身になってからは、彼らの支えになっていたし、二年前に母親が家を出たあとも、毎週末、家の管理をしに出向いていた。

母親が亡くなって、空き家になった自宅をどうするかが問題になって、一時は取り壊す話になったのだが、最終的に従兄にゆずって活用してもらうことになった。僕の知り合いの行政書士の方に書類や手続きに段取りをつけてもらって、昨年末に従兄に家を引き渡すことができた。

取り壊すとなると工事や費用の問題がでてくるし、十分使える家を壊すのもしのびない。従兄に使ってもらうのは母親の意向でもあったし、考えられる限りのベストの選択だろう。姉もいい方向で区切りがついてほっとしたと喜んでいた。

ところが、年があけて姉に会うと、この決断がかなり身体に応えたようで、がっくりとして十年ぶりに風邪をひいてしまったという。姉は40年間勤めた企業を昨年3月に退職したが、その時よりもショックは大きいそうだ。

この姉の気持ちは僕にもよくわかった。僕は実家を出てから30年間、多くても年に数回実家に戻る程度だったから、姉とは実家への思いは比較にならないだろう。しかし、実際に自分が生まれ(当時は病院ではなく産婆さんによる自宅での出産だった)家族との日々を刻んできた家を「手放す」ことは、何か自分の中の大切なものを引き抜かれてしまうようにも思えたのだ。

姉の話を聞いたあと、僕はこんな夢をみた。

ひとりで国立の実家の方へふらふらと歩いている。夜中過ぎだった。従兄の家の脇を抜けて、気づくと僕はすでに実家の中に入り込んでいた。鍵がかかっていなかったのだ。実際の実家とは違い、中は広い土間のようになっていて、小さな照明がぼんやりあたりを照らしている。ふすまの向こうには誰かいるかもしれない。そうっと開けると、暗がりの向こうには幸い人の気配はなかった。こんなところを見つけられたら、無断で立ち入ったことをどう言い訳したらいのか。僕はあわてて外にでて、扉をしめた。逃れるように家を離れたあとで、自分が手ぶらであることに気づく。もしかしたら部屋にカバンを忘れたのかもしれない。しかし確認にもう一度戻るのも嫌だ。どうしようかと逡巡しているときに目が覚めた。