大井川通信

大井川あたりの事ども

登記を為すに非ざれば対抗することを得ず

「不動産に関する物権の得喪及び変更は登記法の定める所に従い其登記を為すに非ざれば之を以て第三者に対抗することを得ず」

 

改正前の民放177条は、全文をあげるとこんな条文だった。実際は旧仮名遣いでカタカナ表記だから、さらに読みにくくなる。今では、民法全体が現代語で書き改められているはずだ。

僕は、法学部を卒業したが、多少熱心に勉強したのは民法くらいで、その中で物権変動の部分については、2年生のゼミでレポートを書いたので、いくらか詳しく研究した記憶がある。(それだけ、というのは情けない)

土地や建物の売買では、契約で、つまり買い手と売り手の意思表示によって、所有権は移転する。しかし、売り手が、第三者にその不動産を二重に譲渡してしまった時が問題になる。この場合に勝敗を決するのが、登記の手続きの有無だというのが、この177条の趣旨だ。

この時、第三者が善意(事情を知らない)である必要があるのかとか、相続や時効取得による所有権の移転にも登記が必要なのかとか、様々なケースに対応できる条文解釈が必要になってくる。僕は、レポートのためや、その後の試験のために、そんな細々した理屈を頭に入れた。

今回、両親が亡くなり、実家を処分することになって、はじめて法務局に出向いて、実家に関する登記簿を確認してみた。実は、今まで登記の有無など考えたこともなかったのだが、手持ちの書類から推測すると登記がない可能性が出てきたのだ。

土地は、もともと父方の伯父の所有であり、伯父の敷地の端に家を建てている事情は以前からわかっていた。法的には「使用貸借」だから、借地人としての権利は何もない。立退料をもらうこともできないし、家の撤去費用すらこちらもちであることは覚悟していた。

ただ撤去が物理的に難しい等の事情もあって、最終的に従兄に家を譲ることになったのは、母親の生前の意志でもあったから、よかったのだと思う。行政書士の友人の力を借りて、あとくされのないように無償譲渡の契約書も用意した。

登記簿を見ると、予想通り、実家は登記がされてなかった。従兄が相続した土地の上には、従兄が相続した伯父の家の登記があるだけだった。

実際には、無登記建物というのは珍しくはないらしい。しかし、登記簿上そこになんの記録もないのを見て、なんだか淋しかった。実家での僕たちの暮らしが、何者にも「対抗できない」ものだったような気がしたのだ。

同時に、実家を手放すことの無念さや後ろめたさが消えて、仕方のないことだと思えるようにもなった。かつての次男なら「したたがない」というだろう。僕にはまだ、前を向いて歩いていく時間があるのだから。