大井川通信

大井川あたりの事ども

『古都』 川端康成 1962

京都の名所旧跡と年中行事に彩られた作品。読書会の課題図書として、初めて川端康成(1899-1972)を読んだ。

読みながら、僕は何回くらい京都に行ったことがあるのか、ふと気になった。中学生の修学旅行が初めての京都で、その10年後帰省の途中に車で町を巡った。仕事で、三、四回は駅前のホテルに宿泊しただろうか。仲間との勉強会で本願寺の会館にも数回宿泊したことがある。子どもの小さい時に家族で京都タワーの隣のホテルにも泊まった。10年近く前になるが、嵐山のホテルの会議に出て、小説の舞台にもなっている嵯峨野のあたりをゆっくり見て歩いたのが最後だろうか。

訪問の都度、短時間でも名所を見て歩いたので、多少の土地鑑はある。楽しく読めたのはそのせいだと思う。

東京の新しい街で生まれ育った僕には、ほとんど無縁の風物や習慣が描かれているのだが、長く生きたおかげで、好きな寺院のことだけではなく、町屋の作りや祭りや信仰についての知識が頭に入っているからだろう、読解に不自由することはなかった。

知り合いの職人の顔を突然なぐったり、養女(実際は捨て子)に自分たちが人さらいした子どもだと何度も告げたり、若い娘がベテランの番頭を平気で愚弄したり、今だと人権上(コンプライアンス上)問題になりそうなシーンが、さらりと描かれる。そのあたり、差別的だったり排他的だったもするような京都の繊細で容赦のない人間関係の秩序やルールが踏まえられているからだろう。

主人公の千重子のそっくりさんの双子の苗子が登場するのも、千重子にあこがれる職人秀男が、急に苗子にプロポーズするのも、千重子の幼馴染の真一の兄の竜介が突然千重子に積極的になって押しかけてくるのも、どれも不自然でぎくしゃくした展開のはずだが、作者は、気にせずに一筆書きであっさりと書き進めていく。

急な展開のていねいな説明や重要な人物の心理描写が省かれて、たんたんと空白のままに捨て置かれる。新聞連載のための工夫だったかもしれないし、「あとがき」にあるように眠り薬の濫用による影響なのかもしれない。作者も連載中の記憶がないと言っているが、どうも夢の中の出来事のようでもある。それが墨絵のような作品の魅力となっているのは確かだ。

朝日新聞の連載は、ちょうど僕が生まれる前後の時期だ。高度成長の激動に向かう時代の不安が、この古風な作品のなかにも顔をのぞかせている気がする。

連載時の作者の年齢は62歳で、今の僕とほとんど変わらない。その年齢で若い男女の心情が描けたのだとしたら、ステレオタイプの認識がかろうじて通用する動きの少ない時代と地域に助けられてのことなのかもしれない。