大井川通信

大井川あたりの事ども

『みだれ髪』 与謝野晶子 1901

詩歌を読む読書会の準備で、ほぼ400首にざっと目をとおした。見開き頁に対訳のある角川文庫を買ったが、そうでなかったらとても手に負えなかっただろう。開催当日の昼間に、コメダ珈琲にこもって高速でページをめくる。

いくつか気づいた点。

・現代語訳では「恋」のオンパレードだが、作品で実際に「恋」の文字を使っているのは数首だったと思う。あとは「おもひ」や「夢」や「紅」や「春」や「歌」で婉曲に表現している。

・現実の恋の対象は、鉄幹先生だったのだろうが、作品の中では、旅人や絵師、僧や聖にも早変わりする。「道」や「経」や「真善美」が恋の邪魔をするというシチュエーションを繰り返し描いているのは、それが作者のツボだったのだろうか。

・やたらと「神」がでてくる。たいていは日本的な八百万の神だが、キリスト教の神など西洋由来風の神も登場して、まさに神出鬼没だ。愚痴を聞いてもらったり、ちょっかいをしかけたりで、作者はかなり親しみをもっているよう。いわば恋の媒介者、トリックスターとしてふるまっている。

ホトトギス  嵯峨へは一里  京へ三里  水の清滝  夜の明けやすき」

・三首選ぶ課題のうち一首は、この鳥をあつかったものにした。夜半に村里の上空を「ホケキョキョ、ホケキョキョ」と強く区切って鳴きながら飛びすぎるホトトギスそのもののリズムをもった歌だ。夜空のホトトギスに思いをはせると、京都の周辺の地理が目の前に広がるが、ふと我に返って二人のいる清滝での残りわずかな夜を惜しんだ、ということか。