大井川通信

大井川あたりの事ども

はっちゃんの命日

猫のはっちゃんが亡くなって5年が経った。おしゃれな生地の袋をまとった小さな骨壺は、テレビの棚に置かれたままだが、まるで気にならない。おそらくこのままでいくだろう。袋には、はっちゃんの写真が飾られている。今日は、妻が好物の缶詰をお供えしていた。

はっちゃんは、師走近くに我が家の庭に迷い込んできた子猫だ。生まれてまだ2カ月ほどだったと思う。庭から拾ってきた妻が、この猫を飼うと宣言した姿をはっきり覚えている。住んで30年近くになるけれど捨て猫が迷い込んできたのは、後にも先にもこの時だけだ。次男が子どもの頃猫カフェで猫アレルギーを発症したから、猫を飼うのは無理だと思っていた。

まず、片目がはれていたので、獣医で治療。それからお尻からぽろぽろギョウチュウの卵が落ちて来て、また治療。わんぱくで、家じゅうを走り回り、棚のモノを落しまくる。人のこともかんだり、引っかいたりする。だから、猫好きの妻との相性もそんなによくなかった。猫をゆずるためのチラシを本気で作ろうとしていたし、モチヤマに捨ててイノシシのエサにしちゃうぞと、本気とも嘘ともつかない冗談を言っていた。

年が明けて、月に一回くらいてんかんの発作がでるようになると、はっちゃんが捨てられたのはこの病気のためではないかと見当がついた。どんなに気性が荒くとも病気であっても飼おうと決心して、去勢の手術をしてもらった一週間後、てんかんの大きな発作がでて、病院の手術台の上ではっちゃんは息をひきとった。

去勢の手術で最後に余計な痛い思いをさせたのがかわいそうだったと思う。まだ猫の飼い方がよくわからない時期で、好物の高い缶詰ばかり食べさせていたから、それはそれでうれしかったのではないかと思ったりもする。

最期のてんかんの発作は見ていられないほど激しいものだったから、仮に生きのびても重い後遺症を背負ったことだろう。半年ばかりがはっちゃんの寿命だったと思うしかない。

はっちゃんの亡くなったあと、二匹の猫を迎えて、その新しい家族が、僕や妻の生きがいとなっている。妻の希望で、性格の大人しいマンチカンを選んだから、はっちゃんのように妻から怒られたりすることはほとんどない。それでも猫にはそれぞれ個性があるから、二匹のマンチカンになくて、はっちゃんにはあったものがある。

九太郎もぼんちゃんも、猫としての気概があるためか、人間に抱かれることを好まない。とくにぼんちゃんは、抱き上げるとすぐに居心地が悪そうに脱出を試みる。妻と相思相愛の九太郎も機嫌が悪い時に抱いたら、怒ってかみついてくるだろう。

はっちゃんは抱っこが好きな猫だったと、妻がなつかしそうにいう。椅子に座っていると足元から上がってきて、何時間でも抱っこされていたのよと。