大井川通信

大井川あたりの事ども

『きたかぜさま』 星野なおこ(文)・羽尻利門(絵) 2021

タイガー立石の絵本に続いて、月間「こどものとも」の新刊を購入した。福音館のこの雑誌はおそらく昔からあって、この月刊誌から一部の作品が単行本化されるというシステムをばくぜんと知ってはいたが、子育ての時も雑誌まで手にすることはなかった。

絵本の魅力は、やはり絵だろう。山間の集落のお祭りで、子どもたちが女の子の姿をした神様に出会い、空を舞ってきよめの神事を手伝うという冒険を描いたお話だが、神様の宿る杉の大木とその周辺の土地と樹々をたんねんに描いた絵は、とても魅力的である。村の暮らしの質感もとらえられているが、僕が気に入ったのは、夜の村の様子を大きく描いた場面だ。

どうみても今の時代の話とは思えないのだが、かといって昔話ではないリアリティがある。作者の経歴を見ると、ほぼ僕と同世代の人だ。作者にとっては、自分の幼少期の体験をモチーフにした作品なのだろう。

僕は自分の世代のアドバンテージを、60年代に子ども時代を過ごして、かろうじて前近代から続く事物が力をもった世界を体験できたことにあると思っている。その後、社会のあり様も価値観も大きく変わってしまった。その両方の世界に足をつけているからこそ、作者はこの魅力的な物語を書くことができたのだろう。

作者によると「きたかぜさま」は架空のお祭りだそうで、たしかにちょっと実際にはなさそうなところがある。架空の祭事を絵本でリアルに描くというのは、そんなに当たり前のことではないし、簡単なことではないかもしれない。

僕のフィールドである大井川の周辺を歩いていても、お祭りや伝承というものはどれもかなりいい加減で自由に作られている。そもそも神仏自体、架空の存在なのだ。それを生き生きとしたものとして受け取り、次の世代に引き渡すためには、そこに新しい想像や物語の魅力を付け加えることは、むしろ不可欠なのだと思う。

今まであることをそのまま再現するだけでは、それは死んだ記録にしかならない。想像力と絵の力であらたに生み出された「きたかぜさま」の物語は、かつての人々の暮らしのエッセンスを次代に届ける力をもっていると思う。