ネパール語学習は、自分の語学とのかかわりを振り返る機会となった。
ドイツ語は、大学入学時に張り切って、第一外国語にしたから、20人ばかりの語学クラスで2年間週3コマの授業があった。基礎的な文法学習から始めてアルプスの民話(アルペンザーゲン)や時事ニュースなどを読んで、ある程度力をつけることができた。発音と聞き取りが英語より格段にやさしいという印象だった。
大学4年になって就職活動と並行しながら、独書研究のゼミを取って専門書を読んだ。学問に未練があったのだと思う。オイゲン・エールリッヒ(1862-1922)の『法社会学の基礎理論』は、当時まだ全訳が出ておらず、わずか2名のゼミ生で苦労して読んだ。担当は講師一年目の若々しい楜澤能生先生で、八王子の大学セミナーハウスでゼミ合宿をした思い出もある。楜澤先生はその後学部長を経験し、今では70歳の老教授というのだから光陰矢の如しだ。
この頃だと思うが、英語よりもドイツ語の方が自由に読めるという感覚があったのを覚えている。当時使っていた辞書は、受験生のように真っ黒だ。
ただし、大学卒業後は、英語の学習はいろいろ手を出して断続的に続けてきたけれども、ドイツ語をまとめて勉強しなおすことはなかったと思う。数年前に、ストーリー仕立てでドイツの風物を紹介する語学講座が面白くて、数か月聞き流してみたのが、ドイツ語に触れる久しぶりの機会だった。
大学時代に英語に集中すれば少しはものになったかもしれないのに、ドイツ語に手を出してしまったためにどっちつかずになった、という自分なりの反省に基づいて、ドイツ語学習は断念していたような気がする。
それでも未練がましく、僕の書棚の隅には新しいドイツ語の入門書が何冊か積まれている。新刊で眼に触れた時につい買いためておいたものだ。これはそのうちの一冊。
ドイツ語入門書で定番の文法解説は後ろに回して、20の簡単な会話スキットが中心なのがとっつきやすい。この順番の大切さは今のネパール語学習で実証済みだ。
スキットでは、最低限の決まり文句と、文法知識と語彙が身に着く仕組みになっている。CDも単なるドイツ語の音声だけでなく、日本語訳も解説も頭に入るようにできている。60分聞き流せばいいのだ。さすがにまったく歯が立たないという内容ではない。
というわけで、数日前に一回聞き通したのだが、きょうもまた聞き流してしまった。この作業なら、空き時間に難なく継続できそうだ。余計な手を広げずにこの一冊の内容だけを繰り返し学んで定着させたらどうだろうか。自分の中のドイツ語という財産が、輝きを取り戻すことになるかもしれない。
高望みせずに続けていきたい。