英語をなんだかんだと勉強して、驚くべきことに50年が経っている。それでも関心のある分野の本をたどたどしく読むのがやっとだし、聞取りや会話はまるでだめだ。大学時代に「第一外国語」として熱心に勉強したドイツ語も、その聞き取りやすさに驚いたものの、その後の勉強は英語の100分の1もやっていないから、どうにもならない。
その他、瞬間的に韓国語、ヒンズー語などかじったことがある程度。
今では、語学はもともと苦手だった(とくに耳が悪い)と開き直るしかない状況だ。年齢的に記憶力も明らかに落ちている。
ところが、いまになって、なぜかネパール語である。
偶然から学び始めてまだ10日ばかりだが、なんとか本腰を入れてみたいという気持ちになっている。というのは、今までも僕の語学学習とまったく別の方法を使わざるをえないのが、とても新鮮で新しい可能性があるような予感がするからだ。
例年以上の極端な猛暑で、日中など命の危険すら感じる。のどが渇き、コンビニで水分を補給する。「のどがかわいた」は、身体に根差した言葉であり、生きる上で必須の言葉だ。I
ネパール語だと、「ピャース・ラギョ」。ピャースは形容詞で喉が渇く、ラギョは、動詞で感じる。ネパール語では必ずしも主語は必要ないようだ。語順は、SVOではなく、SOV。ピャースは言いにくいが、ピースの面白変形バージョンと覚えよう。
ふと、英語では何というか考える。記憶の底を探って、I‘m thirsty. という表現を探り出す。いや、Ifeel thirsty. かな。なんかしっくりこない。50年やってこの程度だ。
僕の英語がこの程度なのは、教科書と文法書と辞書から出発し、その中をぐるぐると周回している学習で、まるで実践の場を持たなかったからだ。
ところが、ネパール語は、教科書も文法書も辞書も見つからず、手元にあるのは薄い「指さし会話帳」のみ。一方、毎日のコンビニのレジという実践の場は必ずある。しかもレジは忙しいから、ながなが話すわけにはいかない。一瞬の瞬発力が必要とされる。
言葉の必要な状況がまずあって、そこから言い回しを学んで使いこなせるようにし、使える言い回しのストックが増えるにつれて、共通の要素から語彙や文法を類推する。とにかく状況に即して瞬間的に口にでる言い回しを増やすのが至上命題だ。
これは、今までの僕の語学学習とはまったく正反対のやり方だ。アイム・サースティは知識としては知っていても、おそらく実地で使ったことは一度もない。ピャース・ラギョは、コンビニの窓口で飲み物を買う時の余計な一言で、すでに5回は使っている。英語学習50年、ネパール語学習10日間で、しかしこれだけの違いが起きているのだ。
さらに猛暑で、「ガㇽミ・チャ」(暑いです)も連発だ。チャは be動詞で、その否定形はチャイナ(ちゃうな)だから覚えやすい。だから、暑くないは「ガㇽミ・チャイナ」。