大井川通信

大井川あたりの事ども

僕の先祖意識(父系)について

自分の祖先について新しく探ろうというのではない。自分が今まで先祖との関係をどのくらい意識して、重視ないしは軽視して生きてきたかを振り返ろうという意図である。結論からいうと、ほとんど意識したことはなかった。

父方の祖父については、戦争の末期に亡くなっている。父親が陸軍の駐屯地から葬儀のために家に戻って、帰りがやむを得ず遅れたときに、「貴様の親父が死んだことなどどうでもいい」と上官に厳しく叱責された話を聞いたことがある。

父親の出生の地は渋谷道玄坂のようで、戦前だけでも都内で何度も引っ越しを経験しているようだが、祖父がどんな仕事をして、どんな家庭生活を送っていたのか知らない。そもそも祖父や祖母についてその人柄がうかがえるようなエピソードや具体的な情報を聞いたことがないのだ。

父親の本棚に立てかけてあった白黒の二人それぞれの写真(カードよりも小さかった)で記憶しているにすぎない。両親ともその写真に供え物をしたり祈ったりする姿を見たことはないような気がするし、僕たち子どもが敬意を示すように促されたこともなかった。

祖父が北関東の出身であることは、子どもの頃法事で北関東の寺を訪ねたこともあって知ってはいた。それが茨城だったか栃木だったかあいまいだ。実は茨城の方かと思っていたが、地図をみると見慣れた地名がないから、実際は栃木の宇都宮あたりだったのではないかと思う。実家は米屋か米問屋をしていたと聞いた記憶はあるが、祖父がいつどんな経緯で東京に出たのかまったくわからない。

昭和十年代に叔父を東京商科大学(現一橋大)に、父親を旧制中学(現日大二高)に進学させたのだから(その他に叔母が二人いる)経済的にそれなりに余裕があったのだろう。祖父が存命中に東京郊外の国立に土地が購入していたと聞いた気もする。叔父が購入したにしろ、祖父の資産によったのだろう。

祖母は戦後も生きて国立の家で兄夫婦と同居し、のちにその敷地の一部を借りて建てた家で新婚の両親が暮らすことになる。父親はとにかく祖母が好きで、兄の家に行っては身体をもんであげていたという。母親が一番でお前はその次だとはっきり父に宣言されたと母はいう。ただし共働きの兄夫婦に代わって祖母のお世話をした母は、祖母からお小遣いをもらったりしてかわいがられたと母からは聞いた。この祖母は僕の生まれる前に亡くなっている。

母の実家の千葉県の東金に連れて行ったとき、祖母が昔お世話になった家(奉公先か)を懐かしがって隣町の大網を案内して探したが見つからなかったという話は母から聞いたことがあるが、祖母がそもそもどこの出身だったかはわからない。関東大震災の時に、父親がお腹にいる身重の状態で逃げ延びたという話だけが耳に残っている。

父親は特定の話題(戦争中の経験や現在の職場のことなど)については話好きで話も上手だったのだが、自分の親の人となりを子どもたちに少しでも伝えようという気持ちはなかったようだ。それがなぜなのか、ちょっと不思議に思う。