大井川通信

大井川あたりの事ども

『宗教の最終のすがた』 吉本隆明/芹沢俊介 1996

副題に「オウム事件の解決」とある。オウム関連資料として買ったものだが、薄い対談本にもかかわらず、吉本らしく独善的でねちっこい論理展開がわかりにくく、弟子筋の芹沢の追従(吉本関連本にはありがちな態度なのだが)も気になって、読み切れなかったものだ。最近、民衆宗教について考えていることもあって、ふと手に取って読み通してみた。

吉本は60年代以降に「戦後最大の思想家」という評価を得たが、80年代初めの反核運動に対する『反核異論』での原発礼賛と、95年オウム事件における麻原擁護によって、大きく人気を落とした。前者では広く左派の読者の評価を落としたが、後者では、吉本びいきのコアなファンで離れた人もいたと思う。

僕自身、その二つの「事件」のそれぞれを同時代に体験したわけだが、意地になったような吉本のかたくなな態度に共感することは難しかった。しかしオウム事件からも30年近くが経って、あらためて当時話題になった吉本の発言を読んでみると、吉本が言いたかったことの意味が、遠目にはっきりわかるような気がした。

これには、吉本が理論家や思想家として特別に高度なことを論じているという幻想から離れる必要がある。吉本は人間の作り出す観念の世界を「共同幻想」「対幻想」「自己幻想」という三つに分けて、それぞれ次元が違う三つを混同せずに峻別すべきことを繰り返し説いた。かつて吉本自身(やその信者)は、ここに世界的な思想の達成を見たりしたのだが、今となってみればそんな主張は通用しないだろう。

これは、あくまで、人間的な事象の全般を扱う上での吉本自身のおおまかな原則であり、指針や心得であったのだ。天皇制国家体制の一元支配が、家族の領域にも、思想や文学や宗教の領域にも暴力的に浸透していた「戦中派」の体験を批判的に総括するための譲れない原理原則だったのだろう。

だから、吉本の主観においては、反核運動という政治的、社会的な領域から、科学的な真理の領域の独立を守ろうとしたわけだし、世俗の価値観から、信仰の領域の独立を守ろうと闘ったわけなのだろう。ただし、原則自体がおおむね正しいとしても、それをどのように適応するかの判断は分かれることになる。吉本に学んだ読者が、別の判断をもって吉本から離れたのは仕方ないことだったのだ。

この本で吉本が述べていることは、世俗的な善悪の価値観や生死の考え方(共同幻想や対幻想)と異なる価値観や考え方を、人間が文学や信仰の場面(自己幻想)で持つことを認めよ、ということに尽きる。吉本を、「大衆の原像」(対幻想)論者として共感していたファンには意外(無垢の大衆を殺戮する麻原思想を吉本が肯定するはずがない!)であっても、これもまた吉本の原理原則から導き出される主張にちがいない。

ただ、ある意味で当たり前の原則論をオブラートにくるまず空気を読まずに押し出したところに、吉本の良さも悪さも出てしまったのだろう。