大井川通信

大井川あたりの事ども

『ことにおいて後悔せず 戦後史としての自伝』 菅孝行 2023

菅孝行(1939-)は、僕が批評を読みだしたころの憧れの存在だった。演劇畑の出身で、物書きとしては演劇批評で頭角を現したが、僕が熱心に読んだのは『吉本隆明論』(1974年)などの思想論で、80年代に入ると岩波の哲学誌『思想』に身体論を連載するまでになっていた。

吉本隆明批判の論陣を張ったために、吉本本人やそのフォロワーから、僕の好きな岡庭昇とひっくるめて批判されることが多かったが、岡庭よりはるかに端正で正統派の印象だった。

ところが80年代半ばから天皇制批判の政治運動に乗り出して、その後長い間著作の出版もなくなった。今回の自伝で、時代の変化で書く場が減ったこととともに、ソ連の崩壊の衝撃に沈黙を選ばざるをえなかったという真相を知った。

天皇制は、菅が警戒していた平成の代替わりのあと、令和の代替わりを経て、今では保守的なネット世論で、皇室は無駄だからつぶせという意見がふつうに唱えられるまでに怖いものでも特別なものでもなくなった。菅の予想と重点化は的を外したと言わざるをえないだろう。

菅の話を初めて聞いたのは、学生時代、中央大学でだったと思う。著書『関係としての身体』にサインをもらった。塾講師をしていた80年代末には、集会で何回か話を聞く機会があったが、左翼的なロジックをよどみなく話す姿には、こういう人だったかとあまり魅力は感じられなかった。

だいぶたって憲法記念日に福岡の教会で講演を聞いた。今世紀に入ってから、丸山真男論を皮切りに、三島由紀夫論を新書で出したりして、出版活動を再開しているのは気づいていたが、手元においても読み切ることはできなかった。

だから、今回新刊の自伝を買ったのも、昔の義理という気持ちが強く、さほど期待してはいなかった。ところが読み始めてみると、とても面白い読み物となっていて、一気に読み通すことができた。近年これほど夢中になった読書はなかったくらいだ。そういえば、当時も正攻法の批評作品以上に、注釈付きの雑文集(『何よりもダメな日本』等)が面白かったのを思い出した。
大学から、映画会社、小劇場、文筆業、反天連、予備校と舞台を移しながら、有名無名、生者死者を含むおびただしい数の固有名が呼び出される。さながら大群像劇のようだ。彼ら彼女らが関係する遠近大小のエピソードのすべてについて、正邪の折り目をしっかりつけようとする生真面目さと熱量が、この詳細な個人的記録に歴史としての生気を与え、批評たらしめているのだと思う。

家族を養う糧道の問題や、編集者等との行き違いもあけすけに描いているのが面白い。僕の従兄を含む同人で演劇批評誌を続けていた時期があり、人名リストにも従兄の記述があるのも親しみがわく。
戦後を生き抜いた表現者、批評家の赤裸々な自伝としてあまり例がないものかもしれない。この本を書き上げてくれた菅孝行に感謝。

 

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