大井川通信

大井川あたりの事ども

『日本の現代演劇』 扇田昭彦 1995

60年代以降の演劇の歴史を振り返るのは、菅孝行の自伝、佐藤信論についで、これで三巡目になる。以前目を通したことのある本だが、背景知識をある程度仕入れたうえで読むと、岩波新書の小著ではあるが、とてもよい本だった。

まず、1940年生まれの著者が、新聞記者(演劇評論家)として同時代の演劇にリアルタイムで立ち会ってきた体験が生々しい息遣いで書き込まれているということ。唐十郎の紅テントや佐藤信黒テントの旅公演に長期間同行取材したりするなど、様々な演劇人にインタビューした成果がふんだんに取り入れてある。つかこうへいや野田秀樹等の新星の舞台にはじめて触れた時の衝撃の中身もていねいに書き込まれる。

このために、多様な演劇の表れがバランスよく、確固たる軸をもって描き出されている。たとえば、60年代の第一世代の関係性でいえば、佐藤信菅孝行らの「演劇運動派」に対して、「人間がみじめったらしいところで芝居をやろう」「肯定して未来を謳歌できない感情のほうからしか芝居は組立てない」とする鈴木忠志の早稲田小劇場が取り上げられて、狂騒の時代にも演劇が運動一辺倒でなかったことがわかる。

70年代の第二世代(つかこうへいら)は「等身大感覚」、80年代の第三世代(野田秀樹ら)は「過剰消費社会の自分探し」というキーワードでその登場の必然が語られており、佐藤信論では疑問だった黒テントの70年代後半以降の変質についても説明できるような論理を備えている。

80年代以降の作家たちは、上の世代のように突出した「原点」となるような経験をもたないため、さまざまな時代を等価にながめられる一方、SF小説やSF映画の影響を身近に受けた世代であり、もっぱら過去と現在を描いてきた従来の演劇とは違って近未来を扱うようになったという指摘には説得力がある。

1995年当時の新動向として、バブル後の反作用として、古典志向と物語回帰と「静かな演劇」の流れが取り上げられている。幅広い視野を持つ著者が、それ以降の現在にいたる30年の演劇の流れをどのようにとらえているのか、知りたいところだ。

しかし、この書を読む限り、僕の貧しい観劇体験と照らし合わしても、小劇場勃興から興隆の30年間でたいていのものは出尽くしているのではないかという気がする。