大井川通信

大井川あたりの事ども

極私的読書会体験記 -〇〇読書会100回を記念して- 2010.10.22作成

【前史としての80年代】

80年に大学に入学した僕は、現代思想ブーム、ポストモダンブームの影響を直接受けた世代だった。在学中は現代思想の論者として知られた今村仁司さんのゼミにもぐったり、社会人となった後も、80年代末には、柄谷行人の講演に足を運んだりした。その頃、竹田青嗣さんは現代思想の解説もこなす文芸批評家として頭角を現していた。

【〇〇読書会との出会い】

福岡に転居して、92年から本会の主催する竹田さんたちの講演会に顔を出すようになった。〇〇講演会は、竹田さんの愛読者有志による企画である連続講座(90-91年6回)の後を受けて、一般公開で開催され始めたばかりだった。 

竹田さんは、加藤典洋さんを始めとして、小浜逸郎橋爪大三郎さんら同世代の批評家、思想家を引き連れて年2回の講演を行った。彼らは、ポストモダン派に代わって、90年代思潮の一角を占めていたといってよく、福岡の地での会は壮観だった。

記録をみると、04年までに講演会は24回、01-03年の間に哲学書講読会が7回開催されているが、僕自身は、講演会に5、6回参加しただけだった。

ポストモダン批判】

90年代の竹田さんは、ポストモダンの批判者として、現象学を武器に活躍し始めており、当時、批評の根拠をめぐって、柄谷や浅田彰との論争が文壇をにぎわしたりしていた。竹田さんには、80年代の思想は、マルクス主義の尻尾を引きずる、エリートによる批判主義の変種に見えていたのだと思う。のちに加藤さんも、戦後責任論争で、戦後思想の枠組自体を問うような提起をする。

ソ連崩壊等による東西冷戦の終焉に、日本経済のバブル崩壊が重なり、大げさな批判でも軽薄な遊びでもなく、地に足をつけた思考が求められた時だったのかもしれない。ただし、竹田さんの講演内容は、なぜか僕にはあまりピンとくるものではなく、たまたま隣り合った参加者とそんな不満を口にしながら、会場のあった西公園の坂道を下ったことを思い出す。

今にして思えば、当時の竹田さんの関心は、大向こうの論壇や思想界、哲学界を相手にして、自前の思想を作り出すことに集中していて、僕たちの一人一人が生活の中で考えることを励ましたり、元気にしたりすることからは離れていたのではなかったかと思う。

【読書会参加と「哲学ブーム」】

〇〇読書会は、講演会の世話人たちによって、94年から始まっていて、僕はその7回目から参加した。ここで初めて、別府さんたち会のメンバーと親しく接するようになった。メンバーは根っからの哲学、思想好きというよりは、「欲望」や「エロス」あるいは「ほんとう」という言葉が示すものから哲学を立ち上げようとした竹田さんの「初心」に共感した人たちのように思われた。  

95年に出版された『ソフィーの世界』がベストセラーとなり、竹田さんもその立役者の一人となる哲学ブームが沸き起こった。この年には、阪神淡路大震災オウム真理教事件が立て続けに起こり、90年代の精神的混乱に拍車がかかったかのようだった。

僕には、このブームの中で登場した永井均中島義道ら一風変わった哲学者たちが、哲学という思索の楽屋裏を明かしてくれたのが収穫だった。彼らは、哲学とは世間で思われているように立派なものでも役に立つものではない、とても私的な営みでむしろ病気みたいなものだと打ち明けたのだ。

永井さんの竹田批判の影響もあって、永井均の『〈子ども〉のための哲学』を取り上げた会の中では四面楚歌の気分を味わい、しばらく足が遠のくきっかけの一つとなった。

【ブランクの後で】

5年ばかりのブランクを経て、02年の50回から復帰したとき、会の雰囲気がだいぶ風通しよく感じられたのを覚えている。ちょうどその時が内田樹さんの本だったのだが、講演会と出版の企画もあって、メンバーも内田樹の名前を出すことが多くなった。

内田さんは、哲学的な思考を背景にもちながら、自身の子育てや家事、職場での教育や実務、あるいはビジネスや武術の現場に身を置いて、そこから実に的確で、見通しの優れた言葉を次々に繰り出していく。内田さんとの出会いは、読書会メンバーに対して(竹田さんとは違った方向から)生活の中で考えることを励ますものとなった気がする。

【高田雄三さんのこと】

05年に9月に会の草創期からのメンバーである高田雄三さんが亡くなった。

遺稿・追悼文集を見ると、エッセイの巧みさとともに、高田さんの魅力的な人となりがよくわかった。自分が、読書会でいかに上っ面の言葉のやり取りしかしてこなかったかが反省された。また、病をえてからも熱心に参加していた高田さんの姿を思い起こされて、会にのぞむ自分の姿勢に性根を据えられた気持ちがした。

その年の暮れには、高田さんの追悼報告のつもりで、北田曉大の『嗤う日本の「ナショナリズム」』のレポートをした。僕自身にとっても同時代であるこの30年を扱い、テレビ評論家のナンシー関をその達成とみるような異色の精神史だ。これ以降、読書会のレポートでは、自分とって切実な問題を扱った本を取り上げて、読みの中にできるだけ自分を押し出すという試みを続けている。

【読書会という場所】

長く参加を続ける中で、この読書会というものが実に難しい場所だと痛感するようになった。世代が違い、生活も考え方の背景もそれぞれ異なり、関心も専門も違う人たちが集う場所。読書という目的は共通であっても、そもそも「本を読む」ということのイメージも各人各様だ。一冊の本に集中して、共同でより良い読みを作り出すことを理想とする人もいれば、もうすこし気楽に本をめぐる会話を楽しみたいという人もいるだろう。その場合両者にとって、相手の言動がストレスや不満の原因となりかねない。

読書会の話をするとき、別府さんはよく「あの人もこの会に用事があって来てくれているのだから」という言い方をする。以前の僕はきょとんとして、その用事の中身こそが問題じゃないですかと胸の内でつぶやいていた。

近頃ようやくわかりかけてきたのだが、別府さんたちは、本を通じて人と人が関わることを大切にして、何よりそうした場を存続させることに努めてきたのだと思う。それは別府さんが出版という仕事を(高田さんが古本屋という仕事を)選んだことと関係しているにちがいない。

 

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