このところ読書会は、毎月の小説を読む読書会と、詩歌を読む読書会、それから隔月の評論(哲学・思想)を読む読書会に参加している。それと読書会ではないが、毎月の吉田さんとテーマを決めた勉強会でも書物が話題になることが多い。
小説を読む会は3年間、詩歌の会は2年間、継続して参加している。評論の会は、断続的だが25年以上になる。吉田さんとの会も、来月で丸3年だ。あまり手を広げずに、根気よく継続できるのが、数少ない僕の持ち味だと思っている。
ところで、今回の詩歌をよむ会は、漢詩の李白(701-762)が課題図書だった。漢詩をまじめに読むのは、高校生時代以来である。他の参加者も同じだったろう。高校時代の授業の話題が出たりして、意外と盛り上がった会となった。やはり中学高校での漢文の授業は貴重だったな、というのが感想の第一点。
大宝律令が出来た年に生まれた人物とは恐れ入る。日本で言えば奈良時代だが、詩人の人物としての骨格や思想、背景となった国や文化は、それぞれしっかりとして年季が入っている感じだ。漢詩はもちろんわからないところもあるが、漢文書き下し分に「分解」して読むと、ダイレクトに伝わって、古さを感じさせないところも多い。
なにより書き下し分の簡潔なリズムが心地よい。日本人の体内に沁み込んでいる漢文書き下し分の影響の大きさを感じた。そのことを論じた本も積読したいたから、ぜひ読んでみたいと考えたのが、第二点。
漢詩の白文の方をながめると、返り点を使えば、比較的すらすらと読めるような感じがして、高校時代以来にしては不思議だなと思い、思い出した。
9年前、長男の大学受験を手伝った時に、英語と共に漢文は、手助ける側として、比較的熱心に勉強し直した分野だった。ある人気参考書の中の、これを暗唱すれば漢文の仕組みやルールが頭に入るという短文を、親子でいっしょに繰り返し朗読したっけ。
息子にも感謝。