大井川通信

大井川あたりの事ども

近代人・小林一茶

昨年末から、用事とぶつかり参加できなかった詩歌を読む読書会に久しぶりに参加する。詩歌を読むのは手間がかかるから、いつもは前日にバタバタするのだが、今回は少し前にたまたま読み終えたばかりの小林一茶の句集だから有り難い。しかも本まで同じだ。

一茶を「芭蕉、蕪村、一茶」というくくりで見ると、どうしても一段落ちたものとして浅く、卑俗に見えてしまう。この本は、一茶の活躍した江戸時代の文化文政時代(1804年~1830年)に「大衆の誕生とそれにともなう大衆文化の興隆」という点ですでに近代が始まっていたという新しい見方をとる。

近代の始まりにおける大衆詩人としての一茶の表現は、芭蕉、蕪村とはいわばパラダイムを異にしているのだ。この観点から一茶の句をあらためてざっとながめてみた。

 雪とけて村一ぱいの子ども哉

 涼風(りやうふう)の曲がりくねつて来たりけり

一茶は、地方(信濃)で生まれ育ち、中央(江戸)に奉公に出されてやがて俳句で身を立て、晩年に相続で得た家産をたよって故郷に戻っている。芭蕉のように風流心で旅をしたのではない。経済的な事情で田舎と都会との移動を強いられたのだ。だから田舎でも都会でも、生活実感のこもった句を作っている。

 づぶ濡れの大名を見る巨燵(こたつ)哉

 いうぜんとして山を見る蛙(かはづ)哉

おそらく宿場町の町屋の奥に寝そべって、格子越しに雨の大名行列を見下している構図は面白い。身分制をわらう個の意識は、同時に生きとし生けるものに「主体」を見出す柔軟性も持ち合わせている。

 大根引(だいこひき)大根で道を教へけり

 春立(はるたつ)や愚の上に又愚にかへる

ユーモラスな農村風景だが、同時に「道」をめぐる知恵の一端も暗示されている。また一茶の浄土真宗理解は本格的だったようだ。金光教黒住教天理教といった幕末の民衆宗教を生み出した思想的な豊饒さを、一茶も共有していたに違いない。

 

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