大井川通信

大井川あたりの事ども

芭蕉とニイニイゼミ

 

閑かさや岩にしみ入る蝉の声

 

芭蕉がこの有名な句を詠んだのは、元禄二年(1689年)5月27日で、新暦では7月13日に当たる。場所は、出羽国山形市)の立石寺。「おくのほそ道」の旅の途中である。

かつて文学者の間で、このセミニイニイゼミアブラゼミかで論争があり、一応前者ということ決着がついたそうだ。その論争の詳細はわからないが、僕自身、昨年の夏にセミがマイブームとなり、セミについては一家言もっている。僕の知識と経験から、その判断をしてみよう。

まず時期。暖かい北部九州でも、7月初旬から鳴いているのはニイニイゼミであり、アブラゼミが鳴きだすのは7月中旬になってである。まして寒い東北地方なら、7月13日に鳴くセミは、ニイニイゼミと考えた方がいいだろう。

次に声。これはもう、ニイニイゼミの圧勝というか、ニイニイゼミの声を実際に聞いてみると、この句のもつ意味あいが一段とはっきりとわかるような気がするのだ。

多くの読者は、ふだん耳にすることの多いアブラゼミやミンミンゼミ、クマゼミをイメージしてこの句を鑑賞するだろう。これらのセミは、カタカナで書けるようなしっかりした鳴き声をもち、集まって鳴く声は、かなりやかましい。僕の息子たちは、庭のクマゼミの声を勉強の邪魔をする騒音扱いしていた。

この騒然としたセミの声の中に、静かさを見出したことを芭蕉の手柄であり、比類なき感性だと解釈するわけだが、やはりそれには無理があるし、ひいきの引き倒しの感がある。

ところが、ニイニイゼミの声は全く異質だ。例えていうと、有声音と無声音くらいの違いがある。キーンという耳鳴りの音に近い。耳鳴りは気にしなければ、それを忘れることができる。静かさを見出すことが可能なのだ。

さらに「岩のしみ入る」の解釈だ。昨年僕は、初めて意識して聞いたニイニイゼミの声を「脳を狂わすような高音」「宇宙から音波」と表現している。いわば異次元からの超音波だ。

それは日常の感覚に収まる音なのではなく、物質を突き抜けたり、物質を破壊したりしかねない音なのだ。芭蕉は、その特性を的確に「岩にしみ入る」と写し取る。

芭蕉は観念的な思い付きを句にしたわけではない。恐ろしく鋭敏な感覚の人と言わなければならない。

 

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