大井川通信

大井川あたりの事ども

天邪鬼とヒメハルゼミ

職場の窓の外のセミたちの声も、クマゼミアブラゼミが主力になり、それにニイニイゼミが混じるようになった。自宅の庭で見つけるクマゼミの抜け殻も、10個を数えるようになった。はやく、あのセミを聴きにいかなければ。

小説家のポーが、人間の本質は「天邪鬼」にあると喝破していたけれども、僕は、しないといけないとわかっていること、やったらいいに決まっていることができない、という特徴がある。逆に言うと、してはいけないことをやってしまう、ということだ。

小学生の時、休み時間ジャングルジムの上にのっていて、休み時間の終わるベルが校庭に鳴り響く。すぐ戻らないと授業に間に合わない。一秒、二秒、僕の身体は動かない。そういうふうにじりじりと遊具にとどまっていることが、妙に気持ちよかったことを思い出す。さぼるような度胸はないから、結局は駆け出して、ぎりぎり間に合わせていたのだろうけれども。

そんなわけで、半月前からは鳴いているはずのヒメハルゼミを聴くために、昨日ようやく重い腰をあげて職場の帰りに和歌神社に寄ってみた。午後6時半過ぎで薄暗かったが、小雨の影響かまったくセミの声がしない。それで、今日は7時過ぎに寄ると、昨年同様のセミしぐれに立ち会うことができた。

和歌神社の社殿を取り囲むすり鉢状の傾斜地にせり出した木々から、例のギーコギーコと短くのこぎりを引くような合唱が、強くなったり弱くなったり波打つように聞こえてくる。まるで鎮守の杜全体が、生きているかのように声をあげている。

何百年も前から、いやひょっとすると何千年も何万年も前から、この季節のこの場所でヒメハルゼミは鳴き続けてきたのかもしれない。鎮守の杜は、今は住宅街に取り囲まれて小さく残るばかりになっているけれども。

 

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