大井川通信

大井川あたりの事ども

『小林一茶』 大谷弘至 2017

昨年11月東京に行ったとき、たまたま八王子に寄った。八王子は20代の数年間、塾講師として働いた街である。八王子の駅前から放射状に伸びる道を以前塾の有ったビルのあたりまで歩いたけれども、懐かしさや親しみをあまり感じなかった。人間の記憶にも体験に応じて賞味期限みたいなものがあるのだろう。もうこの街に来ることもないかなと思って、最後に駅前でよく利用したくまざわ書店に入った。

ここはペンシルビルみたいにワンフロア―の面積が小さく、階数が多くて上り下りが面倒な本屋だからとても印象に残っている。一冊記念にと角川ソフィア文庫の古典の入門シリーズで『小林一茶』を買った。少し前に近世俳句のアンソロジーを読んで一茶が面白いと思ったからだ。

早めに着いた羽田空港のロビーで崎陽軒のシュウマイを食べながら面白く読んだりしたのだが、帰宅して数日あとに本が見当たらなくなった。買い直そうかと思っているうちにこの本のことを忘れていたのだが、年明けの掃除でソファーの後ろに落ちているのを発見した。そうして無事読了できた。

解説の長谷川櫂によれば、平易な入門書ながら、一茶を近代大衆俳句の創始者としてとらえ直す革新的な論なのだという。芭蕉や蕪村の解説書を読んだときとは違って、作品の魅力以上に、一茶の庶民としての生き方の印象が強い。圧倒的な作品が作者の人生の上に屹立する、という感じではないのだ。

今から200年前の時代に生きた小林一茶(1763-1827)の足跡を振り返りつつ、その作品をゆっくり味わうという楽しみ方をしてみたいという気持ちになった。