大井川通信

大井川あたりの事ども

風信子(ヒヤシンス)忌に寄せて

立原道造(1914-1939)の忌日に、僕が19歳の秋に手に入れた古い旺文社文庫を開いてみる。郷原宏が長い解説を書いているので、読んでみた。郷原の批評は、論旨が明瞭で力強く読み応えのあるものが多い。

当時の世評の対する反発をモチーフにしているので、ちょっとわかりにくい。道造は「感傷」に浸っていたわけでも、「芸術至上主義」を気取っていたわけでもない。「誰も聞いていないと語り続ける」という感傷をあくまで方法として使い、生と死、光と闇、芸術と生活などの二項対立の「中間者として漂ふ」(道造自身の言葉)ことを、詩法としても生き方としても選ぶほかなかったのだ。

なるほど。立原論として芯をはずしていない気がする。

詩集をぱらぱらめくると、こんな別れの詩が目に留まった。郷原は、「別れ」は道造の生の形式だといっている。はっきり覚えていた作品ではないが、末尾のフレーズがなつかしい。  ※「歩廊(ほろう)」は、プラットホームのこと。

 

慌しい別れの日には

汽笛は 鳥たちのする哀しい挨拶のやうに呼びかはし/あなたたちをのせた汽車は 峠をくだつた

秋の 沁みついた歩廊のかげに/私はいつまでも立ちつくし/いつまでも帽子をふつてゐたー

失なはれたものへ/幼きものへ  (立原道造「離愁」)