大井川通信

大井川あたりの事ども

ある読書会の精神史

30年近く通っている読書会がある。冷戦が崩壊し、バブルが崩壊したあとに始まって、失われた30年と平成時代に重なる期間であり、40代で血気盛んだった頃から読書会を引っ張ってきた主宰者も70代を迎え、会として一区切りをつけたいという話を内々に聞いた。

参加者たちの満足の最大化が目的である今時の「読書会」とはちがって、このガラパゴス化した読書会には、参加者をいらだたせるような不協和音や雑音が満ちている。その喧噪を振り返ってみよう。

【90年代】

学生運動の流儀を20年間持ち続けた参加者がかつては多数派だった。彼らにとって、書物や著者名は、ある批判的な身振りを引き出すきっかけに過ぎなかった。自己主張を通じたマウンティング合戦が目的だから、コミュニケーションとしては不毛であってもかまわない。これを「空疎な批判主義」と呼ぼう。

この読書会の母体は、当時在野の批評家だった竹田青嗣の愛読者のグループだった。竹田自身が、マルクス主義ポストモダンの批判主義に対抗して、欲望を根底に置く現象学の構築を目指していた(「竹田現象学・欲望論」)から、メンバーの間では、「エロス」や「恋愛」といったキーワードが飛び交い、仲間内の親密な関係が大手を振るっていた。エロスの要素のなかには、思想家や思想への憧れみたいなものも忍び込んでいた。これを「エロス主義(思想家ファン志向)」と呼ぼう。

竹田は、このグループに同世代の錚々たる批評家、学者仲間を誘って紹介した。加藤典弘や小浜逸郎橋爪大三郎らである。竹田をはじめとする思想家たちの本領(これを「自前理論構築派」と呼ぼう)に、読書会グループがどれだけ共感していたかは疑問がある。また思想家たちの側も、あくまで論壇・論説・学説内部での議論に終始していたから、在野の読書会の営みを正当に評価する基軸を持たなかった。アカデミックな志向を深めた竹田はグループから自然と離れていく。

参加者には、ニューアカ世代、ポストモダン世代の思想好きの姿も交じっていた。彼らは、ソフィスティケートされた現代思想にあこがれていたから、前世代の「空疎な批判主義」に同調できないだけでなく、「エロス主義」の痴態にも本家の「自前理論構築派」にも飽き足らなかった。これをポストモダン派」と呼ぼう。

【00年代】

新世紀に入って、読書会の主要メンバーが、竹田らの不在の後釜として、内田樹の思想に接近した時期がある。内田の来福は一度だけだったし、直接の影響を受けた時期は長くなかったが、初期の内田は、身体や生活に立脚した「まっとうな批判主義」を体現しており、読書会の議論が「空疎さ」を脱するための解毒剤にはなったと思う。

このころ、今まで会に居つくことが難しかった真面目でまっとうな読み手が継続的に参加できるようになったが、旧世代の「批判主義」はまだ血気盛んであり、ときに「エロス主義」が声(奇声?)を上げ、また「ポストモダン派」が煙に巻くといった、混沌たる様相を呈していた。

【10年代以降】

やがて読書会で参照される思想家も、大沢真幸や東浩紀へと世代交代するようになり、本格的な読み手である「テキスト読解派」が会の主導権を握っていく。このため「批判主義」「エロス主義」は影をひそめ、「ポストモダン派」がかろうじて昔ながらの会の個性をになうことになる。

現在では、「テキスト読解派」の主導のもと、研究者、批評家の参加が続き、会の議論のレベルは確実に上がっている。しかし、純粋に本を読むということだけなら、メンバーは頭が固くなった学生に過ぎなくなる。

暮らしの中で生きることの課題解決のために本を読みあう、という「生活者の読書会」という側面は、思想家のファンクラブとして始まったこの会では、表立って強調されることはほとんどなかった。初期には語られることの多かった鶴見俊輔の名前も、00年代の半ばに主宰者の一人が亡くなってからめっきり聞かれなくなったような気がする。思想を生活でためす、生活を思想で鍛えるという相互関係の取り戻しこそが、この会のこれからの生命線であるように思える。