大井川通信

大井川あたりの事ども

へびゴマ物語(その3 へびゴマはリゾームか?)

おっさんちは国分寺崖線の段丘上にあったので、僕たちがそこに行くにはどこかの坂(有名な「たまらん坂」もその一つ)をのぼらないといけなかった。

おっさんちのあたりから国分寺崖線を東にたどると、3キロほどで、東京経済大学のキャンパスにぶつかる。崖線上に広がる大学で、図書館などは崖に沿った階段状の建物だった。

80年代初頭の大学は、学生運動の汗臭さや貧乏くささを抜け出して、新人類が闊歩する空虚で明るいポストモダンという時代に入りかけていた。当時の現代思想ブームの中心人物の一人と目される今村仁司先生のいる東経大に僕は偽学生として入り浸っていた。

今村先生は『現代思想』のドゥルーズ=ガタリ特集に登場して、リゾームについて浅田彰と対談する。僕が時代思潮の中心に触れているかのように錯覚したのも無理はない。この時代のインパクトのおかげで、凡庸な法学部生だった僕も思想書を読むという習慣をもつようになったのだ。

それだけではない。小さなおもちゃや手品を偏愛する僕は、身近な道具や原理のイメージを使って思考する癖を身に着けていた。(ちょうどマルクス学者の今村先生が、思考や読書のプロセスを具体的な労働現場のイメージで語っていたように)

だからその30年後、現代美術家の外田さんとキュレーターの岩本さんと読書会を始めて、ドゥルーズ=ガタリの『リゾーム』を読むことが決まった時に、異質なものが結合し新たな次元を開く「リゾーム」というものの具体例として、へびゴマを思い出したのは偶然ではなかった。

僕は二人の前で得意そうに、プラスティック製のへびゴマを取り出した。高速度で回転してピタリと静止するコマの足もとで、へびが激しく前後運動を繰り返す。

ニューヨーク市立大学で哲学を修めた岩本さんは、あきれたように断言する。「これはリゾームなんかじゃない!」