大井川通信

大井川あたりの事ども

『〈私〉の存在の比類なさ』を読む ー「名探偵ゲーム」で哲学するー 2010.10.22報告

【哲学の内と外】

永井均は、この本の中で、〈私〉をめぐる問題を、様々な哲学説を経由しながら哲学の語りで提示している。たしかに永井自身、子ども時代に気づいたこの問題を、哲学の専門的な勉強を通じてようやく理解できるようになったと別の本で語っている。

永井の語りはむしろ平明といっていいと思うが、本にも紹介されている通り、哲学専門家ですら永井の問題を捉えそこなったり、取り違えたりしている。まして素人が、この問題を著者が示すとおりに「哲学」として扱うことは、かえって危ういのではないのか。

永井には『マンガは哲学する』という著書があるが、ここではそれにならい、レトロなボードゲームを使って、永井の提示する問題をできるだけ具体的に考えてみたいと思う。

 

【実際にゲームで遊ぶ】

ボードゲームの世界 

名探偵ゲームは、おそらく昭和30年代に日本のゲームメーカーで作られたボードゲームである。ただしオリジナルは、アメリカにあるようだ。当時、「家庭盤」というゲームセットが売られていて、その中にこのゲームが入るものもあったが、絵柄を違えた別バージョンだったようである。

コンピューターゲームが全盛となると、この手のボードゲームは衰退して、めったに日の目を見なくなっているが、今後も歴史の中に埋もれていくばかりだろう。

◆犯人の決定  

このゲームの内容は、探偵たちが推理を競って事件の真犯人を見つけるというものだから、審判がボードに描かれた人物の中から犯人を決めることで、ゲームが開始される。

ところで、他の様々なゲーム、例えば野球や将棋では、場合によっては長く語り草になるほど、その一戦一戦が独自の世界を作っている。将棋というゲームの世界の中に、大山対升田昭和○○年名人戦第○局という世界が存在している。

名探偵ゲームでも、犯人が決まり対戦が始まると、それによって一つの新たな独自の世界が開かれるといっていいだろう。

◆明かされる手がかり

犯人が誰であるかは、審判の頭の中にあるだけなので、ヒントなしにこれを当てることはできない。審判は、犯人の特徴を示すカードを順番に探偵役のプレーヤーに見せていく。探偵たちは、そのカードを見ながら、犯人をいちはやく突き止めるべく推理する。

勝負は、ボードの4隅にある四つの犯罪についてそれぞれ行われ、一番多く犯人を見つけた人が最終的な勝者となる。

◆勝つための手順 

審判の手元には、4種類、17枚のカードがある。

頭の形(丸、三角、四角)、体型(でぶ、のっぽ、ちび、普通)、上着の種類(セーター、ジャンバー、コート、セビロ)、上着の色(緑、赤、青、黒、茶、灰)

ボード全体を視野に入れて、審判がカードが示すたびに、84人の中から特徴が当てはまる人物を絞り込んでいき、それが一人に特定されると同時に、すばやく自分の駒を犯人の上に置く必要がある。犯人は、4種類のカードが出揃えば間違いなく特定されるが、3種類が示された段階で特定される場合もある。

 

【ゲームを哲学する】

◆私が存在していない世界

ゲームを始める前のボードは、「並び立つ複数の人間が存在するだけ」である。ここには中心も、「非対称性」も存在しておらず、どんな事件も起きることはない。(図1)

◆私の存在する世界

犯人が選択されると、ゲームは犯人という中心をもって回り始める。

ところで、〈私〉とは、「そこから世界が開けている唯一の原点であり、他の人物はその世界の中の登場人物にすぎない」ものだった。このゲームの犯人も、ただ一人存在することによって、このゲームを成り立たせている点で、〈私〉に似ているとはいえないだろうか。以下、犯人と〈私〉との類似を手がかりとして考察を進めていく。

〈私〉が存在している場合、世界は図2のような形をしているが、〈私〉が世界内のひとりの人間とみなされることによって、図3に変質する。

図2は犯人から見た世界と考えられるが、ゲームの世界では、犯人は他の人々の中に紛れ込んで、図3のような形をしている。

◆〈私〉とは何か 

永井は、「ある人物が〈私〉であるという事実は、その人物の持ついかなる性質とも独立に成り立つ」ということを、繰り返し述べている。あるいは、それと同じことだが、図3の世界の中の一切の事実を調べ上げても〈私〉を探し出すことはできない、という。

確かに、誰が犯人であるかは、ボードに描かれた人物たちの特徴をどんなに詳細に調べてもわかるわけではない。犯人であるという事実は、その人物の持ついかなる性質とも独立に成り立っているからだ。しかし、それはなぜか。

犯人の選択が、このボードの世界の外部にいる審判によって任意になされたからだ。彼は気づいた時にはすでに犯人として指名されており、探偵たちの追跡におびやかされている。〈私〉もまた、気づいた時にはすでにこの〈世界〉の渦中に投げ込まれ、生活に急き立てられている。

この〈私〉を選択した存在は、永井にならって〈神〉と呼ぶしかないものだろう。

◆〈世界〉を隔てた他者

「他者は〈私〉の世界の中には登場しない。なぜならば、他者は物や人のような世界内の一対象ではなく、世界を開くもう一つの原点、いやむしろ、もう一つの〈世界〉そのものだからである」と永井はいう。

彼が犯人であるこのゲームの中では、他の人物たちは、彼が追っ手の目をくらますための盾のような存在にすぎない。ここには、犯人である彼を理解する同胞はいない。彼の同胞は、別の誰かが犯人となったゲームのボード上に存在するだけである。それは、いわばボードを隔てた同胞であり、彼が直接会うことはできない。

◆「学者」としての探偵

探偵は、ボードの世界の仕組みの理解を深めることで、ライバルよりも先に犯人を探し出すことができるだろう。この単純な世界では、各人物は、4つの要素の組み合わせへと還元できる。4要素モデルによって、各人の「私」は特定され、ボード上の世界はくまなく説明しつくされることになる。

実際の世界ははるかに複雑だから、こんなに簡単に正解がでるわけはないが、哲学や思想、科学等は、この世界の構造を解明しようと努めている。

永井の〈私〉をめぐる問いは、このような理論的な営みとは、まったく異質なものである。それは、世界の解明によっては到達できない、〈私〉の選択という「奇跡」を問うているのだから。

◆〈私〉の隠蔽

言葉を語ることは、その語りを理解してくれる対等な相手を想定している。だから〈私〉を論じることは、図2から図3への、図4から図5への変質を否応なく含んでいるのだ。(永井自身はこんな単純な言い方はしていないが、とりあえずこう理解しておこう。)

名探偵ゲームの犯人の方はどうだろうか。ゲームは無数に繰り返され、犯人はすべての人物によって均等に演じられることになる。犯人であることは、あたかもすべての人物に付与された属性であるかのようにみなされて、選択という奇跡はここでも隠されてしまうのだ。