大井川通信

大井川あたりの事ども

村田沙耶香を読む

若いころは、講演会にいくのが好きだった。有名無名にかかわらず著書にサインをもらうのも楽しみで、コレクターのように(寺社の朱印帳のように)集めていた気もする。いつの間にか、講演にもサインにもこだわりがなくなってしまった。

知人に紹介されたのをきっかけに、小説家村田沙耶香の講演に行くことになった。(ここまで書いて、そもそも小説をあまり楽しめない僕は、小説家の講演を聞いたことがなかったことに気づく)

それで、事前に3冊ほど彼女に小説を読んでみた。ほんとうは『コンビニ人間』一冊のつもりだったのだが、相当面白かったので、最新の短編集『信仰』と文庫本の『殺人出産』に手を伸ばした。

短くて読みやすいというのもあるが、純粋にその世界と文体にひたるのが楽しい。解説など読む気がおきない。自分でもあれこれ論じたくない。好きな小説を読むってこういうことなのかと、今さらながら気づいた。

ただ、せっかく講演会にいくのだから、今のところでその印象をメモしておきたい。

彼女の小説は、とても身近な現実がテーマとなっている。仕事やバイト、家族や恋愛、出産や死等々。小説の中の現実は、実際のこの世界とは距離をもっている。『コンビニ人間』ではこの距離はわずかだが、他の作品を読むと、SFといえるくらいに自由自在に現実との距離を操作するのが作者の持ち味であることがわかる。

だから、10人産んだら一人殺せるとか、3人での恋愛が当たり前とか、それだけ聞くと作中の世界はかなり突飛な設定になっているように思えるだろう。しかし、なぜかすいすいとその世界に入っていける。

それはたぶん、彼女が大元のところでこの世界に関する正確な「設計図」を手にしているからだと思う。彼女にとって、この実際の世界は、ずっと違和感に満ちたものだった。この現実との距離感が、この世界への正確な認識を可能にしてくれる。この世界の基本設計図のようなものが手に入れば、それをもとに、ルールをずらしたり変換したりして、別種の現実を描くことができる。

そこは突飛ではあれ、リアリティに満ちた世界だ。しかし、そこもまたこの世界の基本設計を踏襲している以上、そこで生きる人たちの「違和」や「距離」を消すことができない。登場人物たちは、世界への違和や距離において潔癖であり、孤独だ。健気だったり、涙ぐましかったもする。

実は村田さんの作品を読む前に、若手のSF作家の短編を読んでいたのだが、驚くような設定の世界を生きる登場人物が依拠するのは、この世的で耳障りのいい友情や愛だったりする。そういう人間に関する規範的理解が、SFの世界を現実につなぎとめる。村田作品との大きな違いだ。