大井川通信

大井川あたりの事ども

『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』を読む 2009.8.21読書会報告

 ▼はじめに

小山田咲子さんのブログ日記は、たぶん誰が読んでも「楽しくて、勇気をくれて、考えさせられ」る文章だろうと思う。ただ、これは、多くのブログの書き手に比べて、相対的に小山田さんの書くものが優れているということにすぎないのだろうか。それとも、彼女が他の書き手とは一線を隔した、比べることのできない特別な場所にいる、ということなのか。

この本を「見事な作品集」という鴻上尚史さんや、「手が届くようでいて実は永遠に届きそうもない,僕らにひどく迫るもの」と評する別府大悟さんは、おそらく後者だというだろうし、実際に僕もそう思う。今回のレポートでは、その理由を考えることで、彼女の特別な「才能」の中身を具体的に探ってみたい。

 

▼書かれなかったこと

彼女の才能を手っ取り早く明らかにするためには、彼女が書いたものを検討する前に、むしろ彼女が何を書かなかったのかを見ることが近道となる。こんな見方は、読み応えのあるこの一冊の本を前にしたときに、かえって盲点なのかもしれない。

ブログの3年間に限っても、6回の海外旅行に行っているはずだが、旅行記のような記述はほとんどない。鴻上氏をはじめとする著名人との交友についても、この日記は無関心である。レコーディングや写真モデルの経験にも触れられていない。普通のブログの書き手が、真っ先に飛びつきたくなるような世間的に情報価値ありとみなされる話題が、あっさりと切り捨てられる。かといって、読んだ本や見た映画、舞台の感想や日々の出来事を備忘録的にもれなく書いているわけでもない。

彼女の日記の魅力が、この独特の選択力、情報を切り捨てる力にあることをまずは指摘しておきたい。

 

▼言葉の作法

小山田さんは、読み手にまっすぐに届く、曖昧さや過不足のない正確な言葉、実に気持ちのいい文体をもっている。このような武器を、彼女はいつどうやって手に入れたのだろうか。

彼女は、小学5年生から日記をつけ始め、大学生になっても手帳に日記を書き続けていたようだ。このブログ自体は、年齢的にも、一定の読者をもつという形式においても、思春期の若者が自分のために書きつけるノートとは違ったものである。しかし、この文体は、彼女が思春期に書き続けたノート(日記)に出自をもつように思われる。

人は思春期に、時として自分のノートの中に立てこもる。自分が他の人間たちとはまったく違うことに気づいた時、自分が何者かであるかを確定し、他者たちとの関係に折り合いをつけるために言葉をつかって考え始める。

小山田さんは、子ども時代を通じて、絶えず人の輪の中心にいたように思われる。しかしそのなかで、かえって自分と他人がどうしようもなく違うことに気づき、そのことを粘り強く考え続けたのではないか。自他の空隙を埋め、それを架橋するためには、あいまいさのない正確な言葉を鍛えるしかないことに思い至ったのではないか。

 

▼生の流儀

小山田さんのブログの魅力の中心は、生きることに関する彼女の発言である。思い切り良く発せられた言葉は、見事に的を射たものになっている。 

これは、おそらく、思春期のノートのテーマであるような自他の関係の危機を、言葉を鍛え、他者とぶつかり合うことを通じて乗り切ってきたことの賜物なのだろうと思う。その期間は、およそ10年くらいのものだっただろうが、その密度は、あたりまえの人間の何倍にも値するものだったに違いない。

それは、自分の夢、仕事、生活、恋愛とどうむきあうか、友人、恋人、家族、故郷、あるいは年長者や年下の子どもたちとどうかかわるか、さらには、社会や自然、生死に関する考察までに及んでいる。それらを、具体的な出来事に即して、何気なく、時に意外な切り口で、シャープに提示するのが小山田さんの真骨頂である。

彼女の文章には、書かれていることの背後に多くの経験と思考の積み重ねがひかえているのが感じられる。言葉や思考におおきな余力がある、彼女にとって内的な必然性のあることだけを書いている、という強い印象を受ける。

 

「恋愛はとにかくサシの勝負だから、他のどんな人間関係とも違う。だからこそいつも真剣に向き合いたいし、刺激を受け合える関係でいたいと思う。試したり、駆け引きしたりせずに、いつも持ち駒をぜんぶ使って好きといいたい。・・・恋人の前で、泣くことと歌うことと謝ることを恥ずかしがらない、というのは私のちっぽけにして最大の哲学だ。」(P19-20『恋をして』)

 

「私たちはかつて必要以上に仲が良くて、そのためにもう友達にもなれなくなってしまったのだけど、理解しあうためのステップ―性格とか考え方の基盤を知るためのぶつかり合い―は大概済ませてあるので、気を使い合うとなると互いにものすごくきめ細かくなれる。そしてお互いが相手を絶対に否定しないことを、言わなくても知っている。それは確かに憎みあうよりは喜ばしいことだけれども、幸せな関係かどうかはわからない。理解し終わったと思ってしまったら、その関係は行き止まりだ。」(P201『ストレート』)

 

恋愛に関する彼女の発言は、青臭さや背伸びを感じさせない、堂に入ったものだ。後の文章は、東京で、おそらく高校時代の恋人と再会した直後に書かれている。恋愛の渦中にある者に対して語られた「恋愛哲学」は、恋愛「後」の人間関係に関する酷薄ともいうべきリアルな認識によってもささえられているのだ。一方、恋愛を準備し、個々の恋愛の経験を貫くような「愛」に関する考察も、彼女は逃していない。

 

「どんなに深くサンタクロースを信じた子どもでも、いずれはその正体を知り、枕もとにプレゼントの無いクリスマスの朝を迎えるようになる。でも目には見えない大きな不思議な存在を一度真っ直ぐに信じた事実は消えないし、それは同じ誠実さで他の何かを信じることができる場所を心の中に培うということだと思う。」(P62『クリスマス』)

 

▼瞬間の思想

小山田さんは、きわめて卓越した言葉の使い手であり、若くして生きることの達人だった、といえるかもしれない。しかし彼女のブログの世界には、それだけでは尽くせない特別な要素がある。それが、彼女の世界に独特の奥行きと深さを与えている。

 

「旅先で予測しなかったことが起こったり、初めて会う人と深く話すことになったりした時、いつもやってくるあの気持ち。周りの景色がふっとなくなり、雑念が消えて、不意に自分を遠くから眺めるような、途方にくれるような物思い。」(P83『汐留』)

 

「見渡す限りずっと同じ景色、の前に立つと、というのは森の真ん中もそうだし、砂漠でも、ひたすら水しかない海に向かった時でもそうなんだけど、すうっと自分の周りから方向というものが無くなって足元がおぼつかなくなる感覚に襲われる、身のすくむような一瞬がある。」(P225『GERRY』)

 

彼女は時々、この世界から身体が抜け出していくような、不思議な瞬間について書き留めている。僕がこの本を読んで最初に気になったのは、この謎のような瞬間の記述だった。

タイトルにもなった「えいやっ!と部屋を飛び出す、あの一瞬をやっぱりどうしても愛している」(P97)という言葉も、考えてみれば、旅への憧れを語ったものではない。旅立ちの時に、それまでの日常がいわば凍結され仮死状態になる、その刹那への愛を語っているのだから。彼女が写真という表現手段を選んだのも、「どんなゆったりしたものを撮っても切羽つまっている」(P268)と評しているように、それがかけがえのない一瞬を切り取るものだったからかもしれない。

しかし、彼女にとって特別な、この瞬間の意味を理解することは難しい。読み進めるうちに、彼女のこだわりは、もっと日常に密着した「途方にくれるような」「身のすくむ」一瞬にも注がれていることに気づくようになった。それは、片付けができなかったり、大切なモノをなくしたり、思わぬ事故に出合ったり、自分の勘違いが明らかになったりするような、失敗の瞬間である。 

 

▼転倒した場所で

そういう目で見ると、このブログには、様々なアクシデントが書き込まれている。まるで、海外旅行での人目をひく土産話よりも、日常のたわいもない失敗談の方か重要であるかのように。実際、このブログ日記のもともとのタイトルは『実のない話』だった。彼女は学業成績優秀で、部活動でも大活躍するなど運動神経も良かったにもかかわらず、意外なことに不器用な一面も併せ持っていた。

 

「左のポケットに入れる、と決めておけば無くさない。財布も携帯も、パスポートも通帳も印鑑も、決めた場所にしまいさえすれば無くさない。『どっかで見た・・・』『さっきまでここに・・・』この台詞を600万回くらい繰り返しながら21年間。もうたいがいで卒業したい。」(2003.1.5『切符』)

 

「ない、ない、ない。あらゆるポケットを裏返し、引き出しを開け、ロッカーをかき回す。カーペットをめくり、冷蔵庫の中身まで出して探すが、ない。」(2003.2.16『探す』)

 

「ぶつかった人も驚き、一緒になって拾ってくれた。のはいいんだけどその人も結構大きなスポーツバッグを持っていて、かがんだ瞬間にそのバッグが振り子のように揺れて私の顔面を直撃した。ばしん。」(P229『流血』)

 

「背中のほうで短く『あっ』というような声を聞いたと思った瞬間、腰のあたりに衝撃を感じて私は膝から崩れ落ちていた。ドリフに入れそうなくらい完璧なこけ方だったと思う。私の両手が床を打つ、ばちーんという音が響き渡った。」(2002.11.18『転倒』)

 

「怪我をした原因についてはもう、心あたりがありすぎて追求する気にもならない。とにかくどこにでもつまずくしひっかかるしはまりこむのだ、私の足は。」(2004.4.14『小指が痛い』)

 

忘れ物は誰でもするものだし、人によくぶつかるのも、地方育ちの彼女が都会のあわただしい人の流れについていけなかった、ということかもしれない。しかし、彼女はモノを無くさないコツを頭ではわかっていたし、上京して何年も経った彼女には、都会に適応するための充分な時間があったはずだ。

『右手と左手』のエピソードを読むと、彼女の一見たわいもない失敗談の背景には、身体の無意識のレベルで、どこかこの「世界」となめらかに関係できないような体質の問題がひそんでいるのが想像できる。そして、この世界につまずき、転倒する瞬間こそ、彼女がまなざしを尖らせ、モノを考え始めるきっかけとなっている。アクシデントは、まるで高速度撮影のように正確に描写される。彼女の文章が自己顕示や自己宣伝から遠いのは、もともと彼女がかっこ悪く転倒した場所で書き始めているからだろう。

充分に大人だった小山田さんは、他者との関係については生き抜くさまざまな知恵を身につけていたけれども、「世界」との無意識の関係では、どうにもうまく折り合いをつけることができなかったのかもしれない。ただしそれと引き換えに、アクシデントの衝撃でひびわれる世界の亀裂をきっちり見逃さず、思いがけないその実相をキャッチすることができたのだと思う。