大井川通信

大井川あたりの事ども

『侏儒の言葉』 芥川龍之介 1927

子どもの頃から芥川が好きだった。学生時代は市立図書館で岩波の大判の全集を借りてきて読んだし、社会人になってから、版が小さくなった新しい全集を手に入れた。とはいえ、持っているだけで、きちんと読んだわけではない。

この岩波文庫の『侏儒の言葉』の巻頭には、「26004」という数字を書き入れてある。26歳になって4番目に読了した本という意味だが、この記入法は25歳になってから思いついてもので、すぐに飽きてやめてしまった。

ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)を読むようになって、芥川(1892-1927)と同年の生まれであることに気づいた。ベンヤミンの珠玉の短文集『一方通行路』は1928年と、芥川のアフォリズム集侏儒の言葉』も1927年とほぼ同時期だ。

それで、今回、この本を再読したのだが、あまり良いところは見つけられなかった。「庸才の作品は、必ず窓のない部屋に似ている。人生の展望は少しもきかない」と芥川は書いているが、芥川のアフォリズムにこそこの言葉が(残念ながら)あてはまるような気がする。

恋愛や人生、文学や政治や革命など、幅広い事象を扱っているのは、ベンヤミンと同じだが、斜に構えたようでありきたりな逆説や皮肉が多く、事象を切り裂いて「人生の展望」を垣間見せるベンヤミンのきらめきには、遠く及ばない。

岩波文庫の解説で、中村真一郎は、芥川の思想は小説と箴言とで優劣はない、と言っているがそれは酷だろう。さすがに小説には、やせ細った箴言にはみられない世界があると思う。