大井川通信

大井川あたりの事ども

『暴力批判論 ベンヤミンの仕事1』 1994

岩波文庫ベンヤミン(1892-1940)の評論集の上巻。1933年の亡命までの前半生の作品からとられている。来年1月の報告までのプロジェクトの柱として、とにかく実際にテキストをできるだけ読もうとしており、まずその第一冊。

こんな機会でもなければ、つまみ食いで読むのならともかく、こちらに背景知識がなく文脈がとらえにくい文章を、とばさずに読むなんてことはしないだろう。しかし、そうやって読んでみて発見もあった。

エッセイのあちこちに散らばっている独自の理論的な構想のイメージは、いかにもベンヤミン的で魅力的なのだ。「翻訳者の課題」の中で、各言語を架橋する翻訳という作業の先に遠望される真の言語である「純粋言語」。「暴力批判論」における「神的暴力」も、こうしたユートピアを切り開く飛び道具なのだろう。

『ドイツ悲劇の根源』の序論である「認識批判的序論」は、何を対象にして論じているのかは全くわからないにもかかわらず、そのメッセージは鮮やかに頭に残る。微細なもの、極端なものを通じて、理念とその配置(星座)を明らかにせよ。そこでは、理念はいまだ歴史における渦巻(根源)として存在している。そして「シュルレアリズム」の中では、理念からの啓示を陶酔とともに受け取るのは、「読むひと、考えるひと、待つひと、遊歩するひと」であるとされるのだ。

一方通行路」と「ベルリンの幼年時代」がすばらしいのは言うまでもない。後者のいくつかのエッセイは、早朝のコメダ珈琲でくつろいで、あれこれ思いをめぐらしなから「陶酔」の心持ちで読むことができた。