大井川通信

大井川あたりの事ども

70年代左翼と身体性の論理(批評をめぐって②)

 *僕の思想的な出発点は、哲学・思想の古典でも、戦後思想の大家でもなく、北田のいう「70年代左翼」という中途半端な存在だった。このあたりに僕自身のマイナー感というか小粒感が現れてしまうのは、どうしようもない。

北田の本は難解でわかりにくいところがあるが、「70年代左翼」への視線と評価は出色だ。おかげで僕も、自分の微妙な思想的な体験について振り返ることができた。

 

【70年代左翼と身体性の論理】

 話は戻るが、岡庭に導かれて読み始めたのは、この本で北田が津村喬に象徴させている「70年代左翼」の論者たちだった。北田のまとめに従うと、彼らは、マルクス主義という真理の基準(枠組)から全てを判断してよしとするのではなく、体制(権力)の批判という志向を持ちつつも、さまざまなメディアの自立性を重視する立場だった。メディアはコミュニケーションの媒体のことだから、文学や芝居、映画、漫画等であり、本質的には言葉や身体そのものを指す。だから、70年代左翼の面々は、純粋な理論家ではなく、雑多なメディアの現場にかかわる表現者たちが多かった。

 岡庭昇は、詩人・文芸評論家にしてテレビ局の社員。管孝行は、劇作家。上野昂志は映画や漫画の評論。哲学専攻の粉川哲夫は、自由ラジオやパフォーマンスにかかわっていた。そして、彼らは共通して、津村喬と同様に「身体」をキイワードにしていた。彼らは、公式的なマルクス主義の教義を批判する一方で、当時明るさを増していた市民社会(北田のいう記号システム・消費社会)に対する違和を表明していた。

 やがて現代思想に触れるようになって、より洗練された批判的理論に目を奪われて徐々に彼らの本を読まなくなっていったが、論壇や出版の場でも、彼らの活躍の舞台は急速に失われていったように思う。その後、時たま彼らの新しい発言を聞いてみても、かつてのリアリティが全く感じられないのが不思議だった。北田が、「嗤う日本」で津村にスポットをあて、70年代左翼を位置づけてくれたために、その理由をある程度納得できたように思っている。

 北田が言うように、消費社会の全面化の中で、彼らの批判の根拠である「身体」が掘り崩され、すっかり取り込まれてしまったのだ。文学の中の闇としての身体を追究した岡庭も、90年前後には、農薬等の食の問題のルポルタージュ(「飽食の予言」シリーズ)で最後の脚光を浴びることになる。しかし食品の安全というのは、津村の太極拳と同様、すでに消費社会公認のアイテムにすぎない。

 ところで、僕は当初、思想主義に対抗して「大衆の原像」(≒身体)をキイワードとする吉本隆明も「70年代左翼」の流れで読んでいたように思う。しかし、吉本は、大衆が消費社会・記号システムの内側に入り込んでいく事態を積極的に評価することで、すでに自身の理論を更新しており、津村、岡庭、菅らを、旧左翼と同様のスターリン主義者として厳しく批判していた。北田が消費社会の肯定者(=60年代的な自己否定への抵抗者)として位置づけるコピーライターの糸井重里が、吉本と互いに親近感を抱いていたのも納得できるところだ。

 また、80年代後半には、評論家の呉智英は、津村、岡庭、上野らを「珍左翼」と嘲笑するような文章(「バカにつける薬」)を書いている。左翼でない呉にとって、もはやリアルではない「身体」による体制批判がもってまわった珍妙なものに映ったのだろう。