大井川通信

大井川あたりの事ども

岡庭昇さん追悼

評論家の岡庭昇さんの訃報をネットで見つけた。7月14日に亡くなって、21日に地元紙の新聞記事になっている。近ごろ新聞に目を通さなくなったので、気づくのが遅れてしまった。

大学時代に偶然手に取った岡庭さんの本を通じて、僕は思想や評論の世界に魅了されるようになった。20代の頃、地元の市役所での講演で、最初に読んだ著書『萩原朔太郎』にサインしてもらったときは感激した。

当時岡庭さんのグループが主宰していた同時代シンポジウムが飯田橋で毎月あって、東京で塾講師をしていた僕はよく参加した。岡庭さんの他にも、盟友の平岡正明梁石日、高橋敏夫といった作家や評論家の姿もあった。

その頃は、すでに過激な社会批評家として、論壇やマスコミなどの批判を展開しており、岡庭さんに対する一般のイメージもその印象が強いと思うのだが、僕は岡庭さんの本領は、初期の文学批評にあると思う。

文学を論じる繊細で鋭利な文体のバランスが、大づかみな社会批評を書き続けることで崩れてしまったように思えて、それ以後岡庭さんの思想自体にもそれほど魅力を感じることがなくなってしまった。

今月、読書会で鮎川信夫の詩集を扱うことになったので、追悼の気持ちもこめて、岡庭さんの初期の批評集から、鮎川を論じた三つの批評文を読んでみた。どれも30歳前後に書かれたものだが、やはり優れている。鮎川が戦争体験を経て、既存の言葉の成熟に向かわず、それがとらえきれない不可視の全体を構想しながら挫折を余儀なくされた経緯を、緊密な文体と用語で追尾し描き切っている。

若い頃私淑した師匠の死は、心にぽっかり穴が開いたようだ。ご冥福をお祈りしたい。