大井川通信

大井川あたりの事ども

『吉本隆明1968』(鹿島茂 2009)をめぐるメモ 2009.6.26作成

吉本の偉さを若い世代に理解させる、という執筆の目的自体が奇妙である。しかし、吉本論に限っていうと、そのような姿勢で書かれたものが多いような気がする。

 通常、思想家論、作家論は、その対象との苦闘の記録である。しかし、本書のような吉本論は、吉本との距離を無くし、吉本へ自己同一化した上で、その思想内容をわかりやすく知らせるというスタイルとなる。吉本の引用のあとには、ここがすごい、核心である、重要である、白眉である、これで決まりであるという、有無を言わせぬ賛嘆がつづくことになる。これは、論述が進むほど顕著になって、うるさいほどだ。

結論から言って、吉本の偉さ自体はうまく伝わっていないと思う。今から振り返ると、きわめて図式的で単純な見方であり、旧来のさび付いたイデオロギーに対して、切れ味を発揮し、当時の若い読者の心をわしづかみにしたという事情は了解できても、もっと普遍的な「偉さ」をここに見て取ることは難しい。ただ吉本の偉さを伝えたいという奇妙な情熱の存在については、それを伝えることには成功しているかもしれない。

今まで、直接、間接に知った(知り合った)吉本の信奉者には、知人の言葉を借りると、「いやなやつ」が多かった。尊大で、吉本に成り代わるというか、尻馬にのって居丈高な言葉を発する人間が何人もいた。それはなぜだろうと不思議に思ってきた。

これは、身も蓋もない言い方をすると、吉本が、自己同一化(感情移入)されやすい思想家である、ということだろう。

この本でも、吉本を読む19歳の著者と現在の著者との間のあって当然の区別、距離感があいまいになりがちである。吉本への「同一化」という一点において、なめらかにつながってしまうのだ。「吉本隆明1968」という題名も奇妙なものである。ここで触れられている作品は、吉本の50年代の仕事が中心だが、それを自分が初めて読んだ「日付」が、吉本の名前とともにタイトルとなる。少なくともこの本の吉本にとって、1968という年号は何の関係もない。ここでも、自己と吉本とが無媒介につながっているのだ。

吉本もいうように、了解可能性と了解不可能性との相克のうちにこそ認識の可能性はあるのだろう。だとしたら、吉本、わかるわかる、という、吉本への自己同一化(=了解可能性)のみの徹底は、実りのある認識をもたらさないだろう。

吉本の強い批評主体への吸引力は、吉本の攻撃(批判)の強力さによって成り立っている。勢い、吉本の信奉者は、吉本による批判を反復せざるをえない。ここで、問題が生じる。吉本にとって、批判と批判対象の選択は必然であり、やむにやまれぬものだったに違いない。マチウ書試論の言葉を使えば吉本の「関係の絶対性」に促されてのものだったはずである。

 しかし、この著者を含む読み手にとって、たとえば四季派らの戦前の詩人を叩くことは、なんら必然ではない。にもかかわらず、吉本が叩くから叩く、吉本のすごさを示すために叩く、ということになる。私はたまたま四季派の詩人たちが好きで、人生で初めて買った全集は「丸山薫全集」5巻本だったくらいなのだが、吉本のきわめて図式的な批判が、彼らの存在や作品の全体に届いているとはとうてい思えない。これで決まり、なんてことはない。こうした一方的な断罪を、現在において、なんの保留やためらいなく繰り返す神経こそ、むしろ異様である。

たとえば、『吉本隆明は永遠である』の著者橋爪大三郎は、題名の印象とは違い、ファンとして最大限のオマージュを捧げつつも、吉本と冷静に距離をとってその功罪を明らかにする。自分の見方があくまで吉本側からの見方であることをことわっているところも、すがすがしい印象を受ける。