大井川通信

大井川あたりの事ども

『柄谷行人『力と交換様式』を読む』 柄谷行人ほか 2023

雑誌掲載の講演録やインタビュー、書評等をとりまぜて、柄谷行人の最近の仕事を概観する文春新書。

2000年頃の『トランスクリティーク』やNAMの活動の終焉以降、柄谷の本はあまり読んでこなかったから、小ぶりながら久しぶりに活気のある面白い柄谷本を読んだという印象だ。昨年の「哲学のノーベル賞」バーグルエン賞の受賞効果かもしれない。

柄谷の議論の魅力は、一見極端な単純化や暴論に思える論理の繰り返しのうちにうかがえる、微妙なニュアンスや繊細な感覚にある。その余剰や余白が、意外なほど広い射程を感じさせることがあるのだ。近年の「交換様式論」の含蓄について、ようやくこの本でそのヒントを得たような気がする。

大澤真幸の近年の本はピンとこないことが多かったが、収録されている柄谷論はさすがの視点だと思った。他の論者の柄谷論も興味深い。

この本を読んで、僕には柄谷ファンとして誇りたいことがある。数年前から、コロナ禍での彼の「里山歩き」が気になっていたからだ。新聞記事の中の何気ない近況報告に特別な意味を見出した人はほとんどいなかっただろうと推測する。

ところが、というか、案の定というか、この新しい本のインタビューで柄谷はこう語っている。少し長いが引用する。

 

 しかし、ずっと家の中にいたわけではなく、近所の多摩丘陵の名残りを歩き回りました。普段は30分から1時間、長い時は2時間くらい。その結果、思いがけないことが起こった。一言でいえば、私は「いなか」に再会したのです。私の東京での生活は、三鷹下連雀という所から始まりましたが、早くから阪急電車小林一三が開発を進めた阪神間で育った私には、当時、まだ田園が残っていた三鷹の風景が新鮮にみえた。

 私の初期の文芸評論を読んだ人は、私が近代文学を「風景の発見」として論じていることに気づいたはずです。明治、大正時代の、徳富蘆花国木田独歩佐藤春夫、それに柳田國男らは皆、江戸(東京)周辺の「いなか」を見出した、といえます。明治の近代文学は、その点で、江戸時代の文学とは違います。

 私は『日本近代文学の起原』で、そのことを書きましたが、私の思索の起原もまた、そこにあります。コロナ禍以後、私は、かつて柳田國男も歩いた多摩丘陵を同じように歩き回りながら、柳田のことや、近代日本文学についてあらためて考えるようになった。これは、出会いというより、「再会」ですね。おそらく、次の本のテーマは、この経験から出てくるでしょう。(26-27頁)

 

この多摩丘陵歩きと柳田國男のことは、あとがきでも再度触れている。やはり、郊外の里山を歩く経験は、柄谷にとって決定的に重要で、新しい思索のテーマにつながるものだったのだ。交換様式論でいえば、「交換様式D」にかかわる経験ということになるだろう。大井川周辺を歩きながら考える僕も大いに励まされる。

 

 

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