大井川通信

大井川あたりの事ども

丘陵を歩く柄谷行人/郊外・里山・ニュータウン

※52回目の吉田さんとの月例勉強会のレジュメ。今までの関連記事からポイントだけを取り出してA4二枚の資料とする。吉田さんは、僕の近所歩きの取組(厳密に言うと、住居のあるニュータウンを歩き出て、それまで死角だった旧集落、住民、歴史、里山、自然、生物に出会いつつ考えること)にはじめから、僕が驚くほどの関心を示してくれた。ここにきて柄谷行人という強力な同志を得たことを喜んで、今月の報告とした。

 

柄谷行人里山思考】 2020-12-31

年末恒例の書評委員による「今年の3点」の記事で、柄谷行人の文章が、他の書き手とまるで違ったトーンになっていることが目を引いた。柄谷のあげた三冊は、猟師による体験記が二冊と、野生動物のリスクについての啓発書だ。哲学・思想書でもなければ、難しそうな本でもない。

この選書の裏には、柄谷のコロナ禍での生活がある。「私は毎日、近所の多摩丘陵を歩き回るようになり、見知らぬ動物に出会った」と簡潔に述べられているが、その体験が驚きと発見をもたらし、読書への態度の変更をもたらしたのだろう。

「態度の変更」とは、彼の若いころの批評のキーワードでもあるけれども、80歳近くなった現在でも、さりげなくそれを実践しているところが、柄谷の批評家としての力量なのだと思う。僕は、毎日近所の丘陵を歩き回るという体験の重さについて、柄谷に全面的に同意したい。

 

【丘陵を歩き続ける柄谷行人】 2022-01-07

今年の「書評委員この1年」というコラムの中で柄谷行人はこうコメントする。「去年と同様、毎日、家で同じ論文に取り組み、人にも会わず、近所の多摩丘陵を歩きまわる日々をすごした」と。

平凡な近況報告と思うなかれ。柄谷が、昨年に引き続き、丘陵歩きのこと(だけ)に触れているのは、そこに批評的意図があるはずなのだ。そこに大きな思想上の発見があるからこそ、彼はモノに憑かれたように近所の丘陵を歩き続けているのだろう。

僕は若いころ、柄谷の書くものにずいぶん啓発され励まされた。今は、彼の歩く姿勢に励まされている。

 

【『柄谷行人『力と交換様式』を読む』】 2023-06-11

雑誌掲載の講演録やインタビュー、書評等をとりまぜて、柄谷行人の最近の仕事を概観する文春新書。小ぶりながら活気のある面白い本に仕上がっているのは、昨年の「哲学のノーベル賞」バーグルエン賞の受賞効果かもしれない。

この本を読んで、僕には柄谷ファンとして誇りたいことがある。数年前から、コロナ禍での彼の「里山歩き」が気になっていたからだ。新聞記事の中の何気ない近況報告に特別な意味を見出した人はほとんどいなかっただろうと推測する。

ところが、というか、案の定というか、この新しい本のインタビューで柄谷はこう語っている。

 

しかし、ずっと家の中にいたわけではなく、近所の多摩丘陵の名残りを歩き回りました。普段は30分から1時間、長い時は2時間くらい。その結果、思いがけないことが起こった。一言でいえば、私は「いなか」に再会したのです。 

私は『日本近代文学の起原』で、そのことを書きましたが、私の思索の起原もまた、そこにあります。コロナ禍以後、私は、かつて柳田國男も歩いた多摩丘陵を同じように歩き回りながら、柳田のことや、近代日本文学についてあらためて考えるようになった。これは、出会いというより、「再会」ですね。おそらく、次の本のテーマは、この経験から出てくるでしょう。(26-27頁)

 

【大井で『武蔵野』を読む】 2021-04-10

武蔵野の美の発見はいわば「認識論的な革命」といえるが、それは頭の中でできるものでなく、実際に歩き、体験することによってしかなしえない。では、歩きながら特にどこに目をつけるべきなのか。「町はずれ」に注目せよ、と国木田独歩はいう。

「大都会の生活の名残と田舎の生活の余波とが此処で落合って、緩かにうずを巻いて居る」のだ。ここには感興を催される「物語」が多く隠れていると独歩は指摘する。

生活と自然、都会と田舎とがぶつかり渦巻くところとは、かつては一般的な「郊外」の姿だったが、今では都会とにすっかり飲み込まれてしまった。大井では、まだこの生き生きとした渦巻が健在である。大井川流域を歩け、そして書け、とは独歩の示唆でもあるのだ。

 

ニュータウンアイデンティティ】 2017-12-24

郊外のリノベーションをめぐる連続講座で、今回は都市計画が専門の黒瀬武史さんの話を聞いた。デトロイトの住宅地の衰退と再生の試みの報告で、住宅地の衰退ぶりは驚くほどだが、一方再生のアイデアの大胆さにも驚かされた。

一つの都市をゼロから立ち上げて、それが立ちいかなくなった時には、それを徹底して作り替えようとする。合理的で欧米的な発想という気がする。一方、日本の身近なニュータウンや開発団地は、たいてい既存の村落の里山が開発されたもので、開発の当初から旧地区との様々な関係や交渉を持っている。だから、エリアとして再生を図る場合には、住宅街内部の問題として扱うだけではなく、境界の外との関係を見直したり、再構築したりすることが有効なのではないか。

グループ討議の報告者となったとき、そんな話をしたら、黒瀬さんが面白いコメントをしてくれた。ニュータウンで生まれ育った学生から、こんな話を聞いたそうだ。自分のアイデンティティは、生まれ育ったニュータウンにあるし、そのニュータウンアイデンティティは旧地区の村落にあると。やや屈折した表現の真意が、僕にはよくわかる気がする。

ニュータウン生まれの子どもたちの好奇心は、平板な住宅街には満足せずに、その境界を越えて、旧地区の田んぼや川や山林や神社に向かうだろう。だから住宅街での生活の記憶は、旧地区での異界体験と完全にセットになっているのだ。