大井川通信

大井川あたりの事ども

『愛することは待つことよ』 森崎和江 1999

新聞を読まなくなったので、森崎和江さんの6月の逝去を知ったのは、数か月あとだった。森崎さんは僕の家から数分の、同じ旧里山の上の住宅街に住んでいた。僕も引っ越してきて四半世紀になるから、それだけの期間ご近所だったということになる。妻も馬場浦池の前の道ですれ違って会釈を交すこともあった森崎さんの印象の強い風貌をよく覚えていた。訃報に接して、何か著書を読もうと思ったがそのままになっていた。

今月初めに森崎さんについての「森崎和江筑豊」と題する講演会(井上洋子講師)があって参加した。スライドを使った内容は森崎和江入門として興味深く、レジュメに即した議論は森崎論として踏み込んだものだった。朝鮮半島で育ち戦後の日本に違和感を覚えた森崎は、戻るべき原郷を持つことができずに、新たな言葉の発見に向かわざるをえなかったという視点(うろ覚えで不正確だが)に刺激を受けて、手持ちの本を読むことにした。ずいぶん前に手に入れていたサイン入りの古書だ。

この本は、森崎さんの朝鮮での女学校時代の友人金任順さんのその後の半生と、再会後の森崎さんとの交流を綴ったドキュメンタリーになっている。女子大を卒業したあとに疎開した島に踏みとどまって、孤児たちの世話をし、それを障碍児の施設へと拡張して切り盛りする友人の行動力は驚嘆すべきものだ。それは虐げられた祖国の大地というしっかりした足場とキリスト教の信仰に支えられている。

一方、友人のために一冊の本を作り、その中で自分と日本のあり方についての屈折した思いを書き込む森崎さんは、海峡を挟んだ交流と交信の中にこそ希望の手がかりを見出そうとしているかのようだ。

様々な現場に取材しての多くの著作と揺るがぬ信念。1927年(昭和2年)生まれの森崎さんの生涯は、僕らには及びがたく思われる徹底した「漂流と原理」に貫かれている。