日記をみると、僕は2012年の1月11日に、福岡女子大で森崎和江さんの講演を聞いている。その時、この対談本にサインをいただいて、宗像在住だというと気軽に「あそびにいらっしゃい」と声をかけてくれた。
その2年後の2014年3月24日に、隣町の里山を縦走して疲れ切った帰り道で、たまたま森崎さんに出会い、招かれて居間でお話をすることになる。この対談本を読むと、筑豊在住の頃、谷川雁や森崎さんを訪ねてくる名も知らない若者を家に泊めることがよくあったそうだから、そんな応接は森崎さんの変わらない流儀だったのだと気づく。ただこの時は、2年前に比べて体調を悪くしている様子だった。
この本は、中島岳志が宗像で2010年の8月に三日間に渡って対談した記録である。
森崎さんの人生と思索と表現の記録として、実によくできた対談本だ。中島岳志の広い視野と知見、何より森崎さんの思想を評価して若い世代に伝えたいという情熱のたまものなのだろうと思う。森崎さんが出版をかけあって単身埴谷雄高を訪ねたことや、サルトルとボーボワールと会った話など、興味深いエピソードもふんだんにある。
しかし、優秀な男性学者にありがちな理論に淫するような傾向もあって、きれいにまとめすぎな印象も受ける。だから時々、森崎さんの肉声がそれを(意図せずに)跳ね返す場面があって、そこも見どころになっている。
たとえば、歴史的に重要な事件として、中島は60年安保についての見解を聞こうとする。たしかに当時の思想家で安保に一家言もたないものなど考えられないだろう。それに対して森崎さんは「私、安保には関わってないもん」とまるで取り合おうとしない。
あるいは、現在の非正規労働やネットカフェ難民などの社会問題を切り出す中島に対して、「私の孫なんか、そんな社会に入っていかなくちゃいけないんですね」とまるで、そこらへんの普通のおばさんが言うような応答をする。
おそらく、このあたりの言語感覚、皮膚感覚、身体性のあり様が、森崎さんの巧まざる強みなのだろうと感心する。
ともあれ、『いのちの自然』と『日本断層論』という、森崎さんからの宿題のような二著を短時間で読み上げることができて、思いつきだったが読書会の報告者を引き受けて本当によかったと思う。二冊とも、とても良い本だった。