大井川通信

大井川あたりの事ども

『宿命』 原祐一 2021

「國松警察庁長官を狙撃した男・捜査完結」が副題で、2018年出版本の増補文庫化。オウム事件については、同時代を生きた人間として関心を持って見守ってきたが、警察庁長官狙撃事件については知識が乏しかった。2012年のNHKスペシャルの放送やその書籍化されたものを見て自分の勉強会で報告もしたので、「中村犯人説」というのは知っていたはずだが、どうせ可能性の一つくらいだろうと思っていた。

今回偶然最近のドキュメンタリー動画を見て驚き、いくつも本が出ていたので一番内容の濃そうなこの本を読んでみて、さらに驚いた。

本書は元警察官の手によるドキュメンタリーだが、当初の麻原逮捕の現場や後年の平田ら特別手配犯の逮捕にまでかかわっていた当事者だから、オウム事件全体の捜査を実地で知る立場からの時系列をおった記述は、とてもわかりやすく説得力がある。実際に中村泰(ひろし)の取調べで本人と向き合い続けた人の証言だから、マスコミ記者による類似の情報とは重みがちがう。中村犯人説は可能性の一つなどというものではなかった。

なによりとんでもないのがこの中村の人物像だ。1930年(昭和5年)生まれというから、僕の親世代で戦中派といっていい。少年期は大陸の植民地で過ごし、戦中戦後の激動期に自力で自己形成した人間がもつ「漂流」感をつよく身にまとっている。

犯行当時ですでに65歳。20代で警察官殺害事件を起こして長期服役しており、事件の7年後に72歳で現金輸送車襲撃事件で逮捕されたのが、捜査線上に浮上するきっかけとなった。ごく少数の仲間と銃器によって権力の中枢に打撃を加えるということ(著者は銃で人を撃つことの快感を求めているのではと推測している)が、おのれの「漂流」を支える唯一の「原理」であるかのように、彼は平穏な日常の埋没することができない。

題名の「宿命」は、警察組織の決定によって個々の捜査がゆがめられるという経緯を指しているようだ。公安部のオウムの犯罪ありきの姿勢と、刑事部との地道な捜査との確執は、なるほど大きな組織ではありそうな感じだった。ここに警察組織の闇を見るというのが普通の読み方だろうが、僕はそこにはさほど関心はもてなかった。

のど元を過ぎれば忘れられがちだが、とにかく、現世の価値観と国家権力に挑戦するオウム事件そのものが驚天動地の出来事だったのだ。警察組織とて冷静さを失ってメンツにこだわるのもわからなくはない。中村はすでに高齢で無期懲役で服役している。中村を無罪放免しているわけではないのだ。

僕が「宿命」の恐ろしさを感じるのは、むしろ中村泰という男の存在そのものの方である。