大井川通信

大井川あたりの事ども

宮司の会4周年

友人の吉田さんと始めた月例の勉強会が、この年末でまる4年になった。毎月開催を遵守していれば49回目のはずだが、第46回となっているのは、途中コロナ等で3回抜けているからだろう。

吉田さんが安部論のメモを作ってきてくれたのは、前回追悼本の計画を話したためだ。その後、安部さんの残した出版基金の使い道について、安部さんのお兄さんから相談を受け、構想は二転三転した。ご親族の気持ちも十分理解できたし、余裕資金を旧玉乃井の維持に充てるのは、安部さんの意思にかなっているだろうと僕も思う。

ただ、やはり安部さんの生の軌跡を振り返るような小冊子だけは作っておきたい。それが安部さんとかかわった僕の責任であるような気がする。なまけ心にムチ打たないといけない。

安部さんのお兄さんは、10年前の玉乃井でのタコツボ料理の会以来だ。あと時はテレビ局のカメラも入った。ファミレスで二人向き合って話す機会が来るとは思わなかったが、東京の帝国ホテルの和食の名店なだ万で働いたときなどの体験談をうかがった。実直に生きてきたお兄さんにとって、津屋崎には二度と戻らないと啖呵を切って出て行った安部さんのその後については、複雑な思いがあるのだろうことが伺われた。

僕はこうした経過報告のあとに、須恵村訪問の記事をまとめたレジュメで、人類学者ジョン・エンブリーの須恵村での足跡と僕が実際に見聞したものについてレポートをした。経験について書いてまとめ、それに基づき報告して議論できる環境はありがたい。まだまだ続けたいという思いも、お互いに共有できているところだ。