大井川通信

大井川あたりの事ども

「9月の会」をまとめる

吉田さんとの月例の勉強会の資料を作っている時、ふと、前身の「9月の会」の開催一覧表を完成させようと思った。50回までのリストが作ってあったので、それをあと7回分付け足して、レイアウトを整えA4一枚の表にして印刷しただけだが、それでも一つけじめをつけたような気がした。

2006年の8月に、安部さんに二人の勉強会の構想をもちかけて、「9月に始めるから、9月の会にしよう」という安部さんの提案で、会の名前が決まる。それから、何度かの中断をはさんだり、吉田さんがメンバーが加わったりしながら、2017年の12月まで、足かけ12年、57回開催することができた。

そのすべての会は、基本的に僕がテーマを決めてレジュメを作り、旧玉乃井旅館の一室で行われた。プライベートな会だから、安部さんが近年開催した「玉乃井展」でも玉乃井の公式な年表では美術展や映画会のようには取り上げられていない。しかし、語りあう場所を語りのなかに繰り込む(語りを場所に根付かせる)試みをしてきたことは自負している。

安部さんの祖父の安部正弘の経歴を単に調べるだけでなく、彼の精神のありようが津屋崎や玉乃井にいかに具現化したのかにも迫った。玉乃井別館が炭鉱の元保養施設だったことから、炭鉱については現地調査も行いつつ掘り下げた。玉乃井を舞台に虚構を交えた脚本を書き、それをメンバーで上演することまでした。

僕と安部さんの共通の関心事である文学や批評をテーマにすることが多かったが、もともと安部さんとの出会いが「当事者」としての語りや生き方を大切にする「福岡水平塾」だったこともあり、記憶や夢、家族や仕事や宗教等々、自分の身体性を見つめ直すような内容が話題の核となった。

とりわけ、安部さんが現代美術展の主宰者だったため、現代美術について論じたり、映写技師が本業である吉田さんの影響もあって映画を俎上に載せたりというように、もともと不案内だった分野へ関心を広げることに役だった。その他、興味の赴くままに、建築や児童画や商店街や犯罪をテーマにとりあげ、どんなことでも論じられるという手ごたえを得ることができたと思う。

この間、他の読書会や勉強会での成果物を、アレンジしてこの会にかけて考察し直すというやり方もとったので、僕の思考の継続のための軸となる場所としてありがたかった。

初期では、安部さんの主宰した「玉乃井プロジェクト」との並走による成果が大きかったし、中期では、安部さんの出版に合わせた安部小論の発表が区切りとなった。後半になると、自分が書き続けてきた作文群を「作文的思考」として示したり、大井川歩きでの成果(平知様論や黒尊様論)を問うことができた。

この会で身につけたノウハウは、1年休止後に始めた吉田さんとの「宮司の会」に活かされているし、「大井川通信」の発行もこの会での修練なしにはありえなかっただろう。

あらためて安部さんへの学恩の大きさを思う。病院でのリハビリ中の安部さんの無理のない順調な回復を祈りたい。