大井川通信

大井川あたりの事ども

「安部文集」作成途中経過

文集の原稿部分のレイアウトが、外田さんのアドバイスを得ながらようやく完成した。次の作業ということで外田さんから呼び出されたのだが、どんな作業が残っているのか皆目見当もつかない。

行ってみると、外田さんが知り合いの編集のオペレーターの人と作業をしている。なるほど。活字部分の印刷データは出来上がっても、それだけでは本にならない。表紙やカバー、巻頭の写真など、目次から奥付までの原稿以外のデータを作る必要があるのだ。

僕は全く役に立たない分野で、薄くても背表紙にタイトルを入れて欲しいとか、玉乃井の書斎の写真をカバーに残してほしいとか、数点の要望を言ったくらいだった。それでも、小冊子とはいえ本づくりの現場に立ち会えたことはよかった。

「安部文集」が、いろんな人の協力のもとに作られることを実感することができた。本当に感謝にたえない。

あとはデーターをネットで印刷会社に発注する(これも外田さんにお願いしている)だけだが、紙に出力して、カバーも取り付け本の形になったものを見ると、これなら安部さんが喜んでくれるなとうれしくなった。文豪を気取った安部さんの写真と目が合う。

おそらく、この文集の隠された意図を見抜くのは安部さんだけだろうから、ここでこっそり打ち明けておこう。僕は、とても偏狭で我儘な人間だから、自分のやりたいことしかできないタイプだ。安部さんのために文集を作るという気持ちには嘘はないが、自分の意に沿わない内容ではモチベーションがわかない。

安部さん人脈の中で、唯一親しみと尊敬を抱いている外田さんに作業のパートナーをお願いした。外田さんは玉乃井プロジェクトで僕の報告に参加してくれたり、一緒に読書会をしたりしている。

編集も思いっきり我儘なものになった。これは僕の原案の骨子がそのまま通ってしまったことによるのだが。メインの「小説」は、僕が今回はじめて通読してこれは面白いし広く読んでもらう価値があると思えたものだ。だだし、ペンネームで発表され、ナイーブな内容を含む作品の掲載を疑問視する人もいるかもしれない。

美術評は、僕が安部さんを通じてリアルタイムで作品を見て知り合うこともできた、外田さん、宮川さん、鈴木さん、原田さんを論じたものをとりあげた。

ラストに、安部さんと個人的にやり取りした思想的エッセイをすえて、それに関連する映画評を掲載した。僕自身が思い出のある映画評を一つだけ加えて。

後書めいた短文は、僕が安部さんに、世代の美意識ですねと寸評したものだ。安部さんは、本当はもっといい文章があるのにと不満をもらしつつ、きっと「これもまたよし」と思ってくれるだろう。