大井川通信

大井川あたりの事ども

現代美術作家との会話

安部さんの文集の打ち合わせで、外田さんと話をする。現代美術作家として長く作品を作り続けてきた外田さんの話には、他では得られない刺激がある。

普通の人間、例えば僕の場合、生活の中で何か面白いことを思いついたりする。そのアイデアの原型を自分で楽しみながら、せいぜいブログの記事に書いて、そのあと何人かの人たちとの会話の「ネタ」として試してみるくらいだ。

僕はこうしたランダムなネタの連結を通じて、世界を味わいたい、理解したいと思うタイプだから、ここまではかなり自覚的にやっているし、そういう作業や態度を面白いといってくれる人もいる。

しかしセカンドプラネットというユニットで表現活動をする外田さんの場合、そのアイデアを時間をかけて討議し、物質化し、様々な調整をはかりつつ、作品として対象化していかなければならない。この一連のアイデアの成長過程というか精練過程の経験をもっているのは、当たり前のことながら圧倒的な強みだろう。

だいぶ前だが、外田さんたちと読書会をしていたとき、僕が本の読みで提出する雑多なネタに対して、「これは作品になるかな」と小声でつぶやきながら考え込んでいた外田さんの姿が印象に残っている。そういうアイデアの可能性の中心を見極める力は、僕らにはないものだ。

ところで、外田さんは、以前原爆に関する作品を作ったことを教えてくれた。1945年8月9日に長崎に投下された原爆は、もともとは小倉に落とす予定だったが天候不順のために目的地を変えたというのは有名な話だ。

原爆を積んだB29が、基地を出発して小倉の上空に姿を現すまでの経過を、同日同時刻にSNSを通じて発信していくというのが作品の概要だ。会場では、その当日の小倉の街を再現する作品を見せたらしい。

もしも小倉に原爆が落ちていたら、というアナザーストーリーにはしない、というのが外田さんの考えだったようだ。確実に親族が巻き込まれたであろう外田さんも安部さんもこの世から消滅することになるのだが、そういう恐ろしげな想定は従来から繰り返し行われてきたことだ。

B29が刻々と近づいてくる間、小倉の街が焼き尽くされ破壊されるのは、ほとんど既定の事実で、その残虐な可能性は、B29の機体が小倉の上空に姿を見せた時、最大値に到達する。その息がとまるような瞬間を再現し、体験させるのが外田さんの作品のオリジナリティだろう。

しかし次の瞬間、目的地の変更命令を受け取ったB29は長崎へと機体の向きを変える。と同時に、マックスまで高まった残虐の可能性は、空気を抜かれたように一瞬にゼロになる。そのあとに行われる、もしものストーリーはしょせん弛緩したたとえ話にすぎない。だってそれらは、実際には起きなかったのだから。

SNSでB29の小倉上空への到達が知らされたとき、思わず不安げに空を見上げてしまう、そういう視線を誘い出したかったと外田さんは語る。それは、小倉に原爆が投下された世界線のどんな恐ろしい物語でも再現不可能な恐怖だろう。

その時、外田さんにも話したのだけれども、僕も原爆に関して、外田さんの作品と共通するような感覚を味わったことがある。

数年前、広島を訪ねた際に、爆心地というものが地上の一点(そこの風景は今では一変しており、原爆投下を過去の事実として押しやることができる)ではなく、地上600メートルの何もない抽象的な空間の一点であり、今でもその「爆心点」から広島の街が見下ろされているということに気づいたのだ。これは恐怖だった。

そこが何もない空間だからこそ、原爆が炸裂する一瞬前の「現在」を保存しているともいえるのだろう。僕は、外田さんの作品作りの話を通じて、自分の体験を思い出し新たに意味づけることができたのだ。

 

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