大井川通信

大井川あたりの事ども

レンズ・トラス橋の話

8月1日は、僕がはじめて北九州の小倉に足を踏み入れた日付だ。今から36年前になる。たまたまそれを思い出したこともあって、夫婦で小倉までドライブすることにした。

黄金市場の九兵衛で評判のうどんを食べ、成屋で饅頭を買ったけれど、「なんもかんもたいへん」のおじさんの八百屋は今日も閉店。市場としては賑わいを失っていない界隈で、妻が東京の吉祥寺に雰囲気が似ているというが、さすがにそれはないと思う。

TOTOの現代的なミュージアムに入って、たくさんの便器が並ぶのを見る。デュシャンの前衛芸術とは違って、ここでは便器が真面目に主役なのだ。

帰り、次男の職場に迎えに行くために、八幡から山道に入る。山中に工業用水のための河内貯水池があって、意図せずに、久しぶりに南河内(みなみかわち)橋をみることになった。

南河内橋は、昭和2年(1927)の竣工。日本で三例しかないレンズ形トラスの鉄橋で、現存しているのはここだけだ。レンズが二個並んで、メガネのように見えるので、通称眼鏡橋ともいわれる。細かい鉄骨でくみ上げられた華奢な橋は赤く塗られていて、山の緑と貯水池の青に映えて美しい。公道にかかる橋でないので長いこと埋もれていて、近年学会に発見され、重要文化財の指定まで受けたというエピソードもドラマチックだ。

現存しないレンズ・トラスの橋に群馬県前橋市の大渡橋(おおわたりばし・1921)がある。大渡橋といえば、萩原朔太郎の郷土望景詩のなかに、その名をタイトルにした詩があって、僕は昔から好きだった。「ここに長き橋の架したるは/かのさびしき惣社の村より 直として前橋の町に通ずるならん」で始まる、文語調の哀切にみちた詩だ。

1924年の日付のある詩集の自序に、郷土望景詩は比較的最近の作とあるから、この作品中の橋は、1921年に新しく架け替えられたレンズ・トラスの橋だったに違いない。その人目をひくモダンな外観は、新しもの好きな朔太郎のお気に入りだったのではないだろうか。「冬の日空に輝きて、無限に悲しき橋なり」と説明している。

山を抜け、直方の街へ。次男の仕事が終わるまでの間、町歩きをする。『ドグラ・マグラ』の第一の事件の現場である日吉町では、古い木造の教会を見つけて、昭和初期の作中の世界に思いをはせた。