古い小説を読む楽しみは、書かれた当時の世相や価値観を知ることにもある。当時の社会と向き合う作者の想像力の戦いを、時間を隔てた今の時点で再度とらえなおすという面白さがある。
これは、SF小説でも同じだろう。作者の未来構想は、当然ながら執筆当時の社会の価値観や技術水準に縛られてもいる。未来への想像力の中に、かえって現在の社会の有り様が反映されているのだ。時代を隔てると、その限界がよくわかるし、その限界を超えようとする作者の想像力の形をくっきり見ることができる。
『闇の左手』には、光と闇、男と女、汝と我という二元的な世界観が頻出する。未来の地球が属する同盟から訪れた使節である主人公も、びっくりするくらい「男らしさ」「女らしさ」という規範にとらわれている。
辺境の惑星に住むゲセン人が、両性具有の人類であり、対立する二項を相補的なものととらえる世界観を持っているのも、作者の理想や願望が現れているのかもしれない。未来の人類が使いこなすという「心話術」の設定にも、それが個人の壁を超えうるという象徴的な意味合いがあるのだろう。
近年の性に関する理解の深まりは、それを対立する二項から、さまざまなグラデーションをはらんだ複数のものとみる見方を急速に広めている。二元的なものを一体とみるのは東洋思想の底流にあるし、日本の風土は個人主義よりも共同体主義が強い。
作者が辺境の惑星に託したものが、50年後の僕たちに今一つピンとこないのは仕方ないのかもしれない。