大井川通信

大井川あたりの事ども

みんなちがって、みんないい

金子みすゞの詩「私と小鳥と鈴と」の一節から、有名になった言葉。

やさしい詩だけれども、ここでいう「ちがっていい、みんな」とは、私という人間と、小鳥という生き物と、鈴というモノであることに注意を要する。これを単なる比喩とみなすから、学校で人権教育の教材になって、人間のそれぞれの個性を大切にしようというスローガンとして使われてしまうのだろう。

人間同士には、そもそもたいした違いはない。本当の違いは、人間とそれ以外の存在との間にある。人間中心主義に曇った眼には、人間以外の存在を自分と対等なものとして、その違いを認識することができない。

たいていの大人は、小鳥をスズメとしか見ていない。それにどんな名前があって、どんなさえずりや地鳴きをして、どんな暮らしをしているかにはまるで関心がない。小鳥の中には、海を越えた渡りの暮らしをしているものも多いのだが、一年中庭先にいるくらいに思っているだろう。

その小鳥の存在を認めて、その存在と暮らしの良さを大切にするためには、人間の暮らしや考え方や価値観すら曲げる必要がでてくる。人間しか見ていないならば、人間同士の自由を認め合うことが最大の価値になるだろう。ある教育哲学者は、教育の唯一の目的は、人間同士の「自由の相互承認」にあると宣告する。19世紀の哲学者が考えた人類史上最高の思想なのだそうだ。

人間の顔色ばかりをうかがっていたら、物事の真相やすばらしさはわからない。視線を外に向けて、鳥や魚や草を見つめ、それに魅せられること。金子みすゞはそう促している。