大井川通信

大井川あたりの事ども

郷土望景詩三篇

萩原朔太郎のエッセイ『芥川龍之介の死』には、朔太郎の「郷土望景詩」を朝の寝床で読んだ芥川が、感動のあまり寝巻のままで朔太郎の家に押しかけて来た顛末が書かれている。それは朔太郎自身が「鬱憤と怨恨にみちた感激調の数編」と呼んだものだが、これだけではそれがどの詩だったかはわからない。

幸い手元に父親の蔵書にあった新潮版全集の第一巻詩集(全)がある。これには発表雑誌のリストが掲載されているから、雑誌『日本詩人』大正14年6月号に発表された「小出新道」「新前橋駅」「大渡橋」の三篇が当日の朝に芥川の目に触れた作品だったという推測ができる。

むべなるかな。なるほどな。これならわかる。

「郷土望景詩」全10篇を通読したのでは、芥川にそこまでの感激の念を起こさせることはできなかっただろう。この三篇は「郷土望景詩」中の白眉というか高峰というか煮えたぎるコアというべきもので、いきなりこのクライマックスに直面した芥川の驚きがどんなものだったかを想像するのは楽しい。

悔恨も怨恨も、自然によって癒される。「郷土望景詩」にはその系列の詩も含まれているが、この三篇は、自然を切り裂き人工的に作られた新道、鉄路、鉄橋という巨大構築物を正面から描いて、それに反発・対立する感情をあおっている。

「小出新道」は僕も中学生の頃からアンソロジーで親しんできた詩。「新前橋駅」は今になってその良さに気づいた詩。ラストの「われひとり寂しき歩廊(ほうむ)の上に立てば/ああはるかなる所よりして/かの海のごとく轟ろき 感情の軋りつつ来るを知れり。」という大胆な比喩の素晴らしさ。

そしてなんといっても「大渡橋」。若い時の読後感を今でも同じ強度で味わうことができる大好きな詩だ。今月初めの前橋訪問でも、大渡橋だけはぜひ見ておきたくて、遠方のためタクシーで訪ねた。 

運転手さんのアイデアで河原の駐車場からグラウンド越しに見上げた橋は、何の変哲もないコンクリート橋にかわっていたが、それでもよかった。これがまさに大渡橋なのだから。橋を渡るタクシーの窓から、赤城山のなだらかなすそ野を目に焼き付けた。