大井川通信

大井川あたりの事ども

「思想家の散歩区域」 萩原朔太郎『虚妄の正義』(1929)より

 我々の思考にして、漸く経験的なものを離れ、純粋に抽象的なものに深入りをしてくるならば、その時、先ず我々は一通りの学者である。しかしながら学者である。もはや思想家ーその言語の響に於ける、人間的な意味を考えて見よーではない。我々にして学者でなく、思想家であることを願うならば、いつも書斎の外に、人生の広い散歩区域を持たねばならない。工場や、監獄や、酒場や、色街や、林や、森や、野道やなど。

 

※今日は、朔太郎の忌日。いつもの詩集でなく、積読アフォリズム集を手に取ってみたら、その分量と、思考の密度に驚いた。同時代の芥川などとても歯が立たないだろう。流し読みして目についた作品。「大井川歩き」がテーマの僕には納得の一篇。